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NORIKOの旅日記 in Indonesia

No.2 バティック探しの旅 〜2000年2月〜


 2000年2月27日(日曜日)、12:30関空発GA883は14:35約2時間遅れで出発することとなった。そのためバリからジャカルタまでの国内便もひとつ遅らせてGA425へ変更。この調子だとジャカルタにつくのは夜の9時すぎになりそうである。ナント朝9時に自宅を出発してから日本時間で夜中の12時前に到着することになる。旅の始めから早くもインドネシアスタイルになってきた。これからの10日間先が思いやられるというものである。

 買付けの旅は店をオープンしてからは2度目になる。今回はちょっとわくわくしている。なぜなら前回果たし得なかったBATIKを手に入れることができるかも知れないからである。前回は私の準備不足もあり、思っていたものが手に入れられなかったので、今回は出発前に図書館で色調べて、事前準備も万全。さらにHANDA(ハンダ・CitaCita店長)の弟ADIに、事前調査に出向いてもらっている。ADIは商業写真家だから、すでにBATIK(バティック)の製造行程の写真も撮ってくれている手筈である。

 さぁジャカルタに着いた。スカルノハッタ空港からHANDAの自宅パサールミングまで約1時間。もうその日の到着は夜遅くになってしまったが、家族皆が起きて待っていてくれた。懐かしい!3年前、私の子供(当時9歳)を連れて泊めて頂いた頃と変わっていない。わいわい賑やかな大家族、ジャカルタ生活の始まりである。

 翌日はまず、今回の最大の目的であるCHANTIK(チャンティック)ブランド開発のための事前下調べである。すでに大阪から送っておいたパターンでIKATのスカートを作ってくれているKonveksiにお邪魔して、出来栄えをチェック。前回のMIROTAでも同じようにスカートの見本を委託生産してもらったわけだが、どちらも出来栄えは上々。若干、修正個所があったものの商品としては充分扱えるものであったが、調達したIKATの柄がもうひとつである。

 伝統的なインドネシアの工芸品と日本のマーケットを繋ぎたいというのがCHANTIKブランドのコンセプトなのだが、スカート製作に対応するIKAT(イカット)の生地は現状ではタペスタリー用に生産されているIKATを活用するしかなく、モティーフがどうも気に入らない。そこでその日は布探しから始めなくてはいけなくなった。結局、伝統的なトラジャのモティーフとスンバのモチィーフが気に入ったので、それに決定する。



縫製工場で・・・
 問題のベッドカバー!?


ジャカルタの養殖場で・・・

JAMU(ジャムー)・・・インドネシアの 漢方薬的健康飲料。日常的に引用される。
Citacitaにもメニューあり。
   

インドラマユのバティックギャラリーで



インドマユのバティック文様


今回の旅で回った範囲



北岸沿いの道路風景



プカロンガンのバティック工房



プカロンガンのバティックギャラリー



色とりどりのBatik


高級シルクBatik!!!
しかしなんとスンバの布はKonveksi(家内工場)のお宅にあったベッドカバーである。経営者の旦那さん(Adir)の話では、もうこの生地は売られていないということなので、見本はこのベッドカバーを裁断して作ることになる。おじさん、ごめんなさい!(笑)。明日からBATIK探しのツアーに出かけている間に、スンバモチィーフのこの布を織ってくれる生地屋さんを捜してくれることになった。


その日は、熱帯魚の養殖場も見学した。しかし事前のコミュニケーションがうまく行っていなかったために、淡水魚しか見学することができなかった。実は当社(しごと総研)の取締役の一人、三辻さんの趣味は魚で、家中、水槽だらけだそうだ。今回の出発前に、偵察を引き受けたのが、魚の知識が全くない私ではちょっと任不足。何を見ても、そして説明を受けても価値があるのやらないのやら全く分らないのだから…。まぁインドネシアに生息する魚のポスターを運良く手に入れることができたので、まずはそれをおみやげにすることにして、あとはHANDAの家族にのちほどジャカルタでの取り引き価格の情報を送ってもらうことで、この件はおしまいにする。


 あいかわらずジャカルタは渋滞で、どこに行くにも時間がかかる。あっという間に一日目は過ぎてしまった。大阪を出発する日は雪まじりの寒い日で、ジャカルタについたら雨季の真っ最中で蒸し暑い。どうやら昨日から風邪をひいたようである。HANDAの姉さんがJAMU(注左)を作ってくれて、それを飲んで今日は早めに就寝。明日は4時起きで、BATIKツアーに出発する予定。


翌29日、待望のジャワ島北岸BATIKの産地を3ヶ所訪ねる旅にいよいよ出発。まずは高速を使ってインドラマユ(Indramayu)へ直行。6時にパサールミングを出て、インドラマユの街に入ったのは予定通り9時半であった。そこから半時間、目的のBATIKギャラリーに到着したのはちょうど10時であった。すでに2週間前にADIが写真を撮りにこの工房へは来ていたので、店のスタッフは私達を待っていてくれたのだが、残念ながら店主ご夫妻は不在であった。どうやら旦那さんが病気で、奥さんもその看病で昨日から田舎へ帰ってしまったということである。残念!
 
しかし見せて頂いたバティックはどれも大変素晴らしいもので、もう感動の連続。私のわずかばかりの資金では、そのほんの一端しか大阪に買って帰ることができないのは申し訳ないのだけれど、仕方がないことなので、まずは品定めにかかる。インドラマユのバティクは海の生物をモティーフにしたものやインドネシアの自然をモティーフにしたものが多く、今もその伝統的なスタイルを残している。モティーフにはそれぞれちゃんと名前が付いていて、ひとつづつ説明をして貰う。特に地模様が織られたシルククレプ(絹の縮緬)に、裏・表に手描で複雑な図柄を染め込んだサルンとスレンダンは、見事な出来栄えで、ローケツ染めとは信じられないくらいの精密さである。布の織りから仕上げまで、製作に2ヶ月以上の労力が費やされている。ここでの価格も恐ろしく高いのだが、この製品がジャカルタに持ち込まれた時点で、もう2倍近くに跳ね上がるらしい。昔はこの店のように裏が工房で家がギャラリーといった店がたくさんあったようだが、最近はほとんどなくなってしまったらしい。高価な商品なので、ほとんどが受注生産なのだそうだ。外国人向けマーケットや、インドネシアのお金持ちのサルン(腰巻)やクメジャ(男性のシャツ)として生産されているらしい。
 
結局、ここでは綿のバティック数枚と絹の高級バティック2枚を購入した。一枚最高級なものを買ったので、電話で店主の奥さんと交渉して、まけてもらうことに成功。それでも高い買い物であったが、あまりにも美しいのでついつい買ってしまった。これは売るのが惜しいバティックである。工房から使い古しのチャンティンを2個プレゼントしてもらう。
もうお昼である。この調子では今日中にチレボン(Cirebon)、プカロンガン(Pekalo-ngan)を全部見て回ることはできそうにないので、チレボンの製品は一部インドラマユでも手に入れることができるので、ここで調達することにして、チレボンは通過するだけにとどめる方針に急遽変更。急ぎプカロンガンに向かう。


 ジャワ島の北岸沿いに車を走らせること1時間強でチレボンに到着。道すがら「塩田」がたくさん見られた。「ここのお塩は美味しいだろうなぁ」などと思いつつも、まずは先を急がなくてはいけない。
昨日ジャカルタで両替したのだが、1円63Rpとレートが悪かったので、10万円しか両替していない。先のバティック購入の上に、ジャカルタ7日間の車のチャーター料金を支払ってしまったので残りはわずか。これではこれからの買付けができないので、チレボンで銀行へ立ち寄る。

 両替屋を捜すにも不案内なので、まずは銀行へ行ったのが、これが大間違い。日本の銀行とは天と地ほども違うサービス。ジャカルタでサービスの悪さには慣れていたものの、ここでは一見さんの私達など「何しに来たのか」という行員の態度にびっくり。さらに銀行なのに外貨両替ができるかどうかもなかなか返事をしてくれない。結局別の銀行へ移動。そこでもあまり状況は変わらない。行員のチンタラムードは同じである。ときおり地元の企業さんが来ると、行員さんの揉み手と作り笑顔に圧倒される。そうか、なるほど彼らのための銀行なのか…と変に納得してしまう。やっと今日の両替レートを示してくれたが1円65Rpだそうである。新聞情報とはえらく違うが、やむを得ないので両替を頼もうとすると、手数料をひいて実際の交換レートは60Rpになると説明を受ける。もう頭がクラクラ…なんということか!一体その手数料とかは誰のポケットに入るのか!さすがに頭に来てしまった私は銀行を背にして、街のマネーチェンジャーを捜すことにする。見つけた一件に新聞のレート欄を片手に挑戦!運良く1円67Rpで交換することができた。最高の気分。でも、これではこの国で銀行が信用されないのも当然と思った。
 

途中で本当はお茶とティーポットの産地Tegalにも立ち寄りたかったのだが、両替に手間取りいよいよ時間が足りない。休まず一直線に車を走らせること4時間半。やっとプカロンガンに到着したのは、もう5時をまわっていた。さずがに凄腕の運転手さんも疲れ気味。Batikのギャラリー経営者との約束の時間は3時だったので2時間遅れの到着であるが、まだ買付け業者の先客があったので、店は開いていた。

 店の中には所狭しとBATIKが並べられ、余りの多さに何から見て良いのか圧倒される。さらにほぼ全部がシルクで、コットンのものは見当たらない。しかも量産に近い雰囲気が伺われる。チャップ(型押し)やコンビナシ(手描と型押しの組み合わせ)のものも多く、衣服用の2mの生地やスカーフなども積み上げられている。一方2階から下ろされてくるBATIKは全て伝統的な手描のシルクで、シルククレプの良いものばかりである。値段交渉がなかなか成立せず、品物も選べない。1時間くらい粘って、交渉成立。商売上手な経営者である。やっと品定めに入る。プカロンガンのBATIKにはインドラマユとは違いモティーフに名前がないらしい。来る前から想像していたようにヨーロッパや中国、日本の影響を受けたモティーフが多く、現代的な感じがする。日本の女性が好みそうな色合いや柄が多い。プカロンガンを代表する花のモティーフに、薄いピンクやグレー、水色使いが女性の購買意欲をくすぐるらしい。私はどちらというとインドラマユの方が好きだが、さすがプカロンガンのBATIK TULIS(注右)には惚れ惚れするものもあった。がしかし高くて手が出ない。それよりは少し劣るが、それでもジャカルタやバリではなかなか手に入らない上等なものを3枚購入する。そのうち一枚は友禅の図柄をイメージさせる菖蒲をモティーフにしたものもあった。これもHOKOKAI(戦時中の「奉公会」)のなごりかと思ったが、真相は分らないまま。そのほか生地やスカーフなどサルンでない状態のシルクを10数枚購入し、その店を後にする。


Batik Turis・・・手描きバティック


プカロンガンのバティックギャラリー




行商人と語らうひととき
 ・・・これが文中のサンドレス!
 もう外は真っ暗だが、綿のBATIKを扱う店を捜さないといけない。現地情報を頂いてさっそくそちらへ向かう。もう食事時だったが店のなかへ入れてくれた。懐かしい匂いがする綿のBATIKを幾らか手に入れることができてホッとする。さぁお腹も減ったし、今晩の宿も捜さなければ…。
 その前にまずは夕食。お腹はぺこぺこ、喉も渇いている。冷たいビールが欲しい。もちろんアルコールを扱う店は少ないことは覚悟していたが、プカロンガンでは本当に困難を極める。たまにあってもビンタンビール1本だけとか…。情報を集める中で1軒の店に辿り着く。老夫婦が経営するワルンでサテ・カンビンとビンタンビールで潤いを取り戻すことができた。

 ホテルは1棟(ベットルームが3部屋、温水シャワー、ダイニング、リビング)がRp 200,000(約3,000円)のが見つかったので、ジャカルタから同行しているHANDAの家族と運転手さん、私が寝るには良い条件だったので、そこに決める。観光客というよりは仕事や買付けに来ている人達のホテルのようで、外国人の観光客は見当たらなかった。

 まだ雨季なので、午後7時ごろから通り雨が降る。雨が上がる頃には、ホテルの部屋の前は行商人達で溢れ帰る。安物のバティックを風呂敷きのような大きな布に包んで各部屋の前を移動していく。泊まり客も夕涼みを兼ねながら彼らと世間話をしたり冷やかしたりしながら、安物のバティックを、帰りを待っている家族の土産にでもと買っていくのである。つい先ほどまで普段インドネシアでも目にすることの少ない高級バティックを買付けていたのだが、この素朴な庶民のレーヨンバティックも、行商と泊まり客の他愛ない雑談や雨上がりのなま暖かい空気と交わって、また別の人間的な味わいが感じられる。そういう私も取りたてて欲しいというわけではなかったが、ついついサンドレスを一枚買ってしまった。3,500Rp(約50円)ほどだったように記憶している。買うほうも売るほうも商品を売買したというよりも、そのひとときを楽しんで、その結果が行商人の家族達の、明日の食事代になっているのだというそんな気がした。ある意味では単に鬱陶しい物売りかも知れないが、彼らと泊まり客との風景が、何故か私に深い慈愛の気持ちを与えてくれる。インドネシアを旅するときにはいつもどこかでこれと同じような気持ちになることが時々ある。

市場でチャンティンを買う
 翌朝は、昨晩の行商人から仕入れたプリントバティックの情報を下に、さっそくプカロンガンのパサールへと直行。市場はすでに多くの人々でごったがえしていたが、日本人客が珍しいのか、遠慮がちながらも好奇心一杯の皆の視線を感じながらも、時間がないので慌ててパサールの中を買付けに走りまわる。まずは目指すはチャンティンとチャップ。チャンティンは職人が作って売っている店が見つかったので、そこで購入するが、チャップの店では少し梃子摺った。値段が折り合わない。日本人ということで法外な値段を言ってきている。ちょっと先にプリントバティックの店を見てまわることにする。60枚ほど2件の店で買ってから、またチャップの店に戻る。案の定少しはさっきより値段が下がった。結局中古と新品と織り交ぜて5個のチャップを買う。昨日TEGALで時間がなく買えなかったティポチ(ティーポット)も10セット買った。パサールの前に並んだ屋台でアボガド入りの「エス・チャンプルー」を食べた。冷たくて美味しかった。

市場の中のプリントバティック屋さん
 すでに11時を回っていたので、一路、バンドゥンを目指して出発。今日中にはバンドゥンに着きたいのだが、昨日同様、行程は少し厳しい。2日間の買付け荷物で車の中は溢れかえっている。人間の座れる場所がいよいよ失われて行く。目的のバティックをとにかく手に入れたという達成感もあってか、窮屈な車内でただただ走るだけの旅を楽しくしようと、次々と皆の冗談が乱れ飛ぶ。しかし午後4時を過ぎた頃からみんなの声も聞こえなくなくなり、運転手さんだけが窪んだ眼で必死で運転している姿を見ると、もうバンドゥン行きを強行せずに目的地を変更することにする。実は私は今晩バンドゥンのバスコロさんの家に泊めて貰う予定だったのだが、致し方ない。途中で電話を入れて明日伺うことに変更して、今晩は温泉に泊まることにする。皆もほっとした様子。温泉地チアトルに7時前に到着する。


1999年7月のイベント”SUKI SUKA インドネシア”にて
左側で歌っているのがバスコロさん。右はAkiさん。










アセップさんのお店

HANDAの弟の知り会いのホテルに泊まって、近くの温泉プールに泳ぎに行く。星を仰ぎながら温泉プールで泳いだら、一日の疲れも、ジャカルタ以来の風邪の憂鬱も一挙に吹っ飛んでしまった。以前ガルットの温泉にも行ったことがあったが、ここチアトルの温泉もなかなか良い。プールサイドでは、近くからちょくちょく泳ぎにくるという人やジャカルタから温泉に保養にきたという人達とおしゃべりをしながら、この温泉の効用も教えてもらったりで、楽しいひとときであった。近くのワルンで、ビールとアヤムバカールの遅い夕食。良い気分だ。ホテルに戻ったが、一晩中車の出入りや若者の騒ぐ声には少々辟易とした。それでも疲れがどっとでたのかよく眠ることができた。

翌朝はバスコロさんが大学の講義に出かける前にお家に伺わなくてはならないので、早朝に出発する。ところがホテルで教えてもらった道がどうも地道だったようで、急な斜面を上り下りする大変な山道を行く羽目になる。一体どれほど山を越えたか、もうあと1キロもないという時点で車がオーバーヒート。煙を出して走っている!タイヤが燃えているらしい。

少し冷やさないといけない。私は先に歩いて行くことにする。なんとか間に合って、バスコロさんご夫婦のお家に到着することができた。バスコロさんは、FMこころ「Bincang Indonesia」のDJ・アキさんと組んで歌を歌っていたので、彼をご存知の方もおられると思う。彼は大阪大学の大学院で建築の勉強をしていたが、今はバンドゥン工科大学に戻って先生をしている。私が理事をしている財団が実施しているインドネシア語講座の講師 お願いしたことからお付き合いがあったので、今回はお宅に泊めて頂く予定だった。残念ながら、泊めて頂くことはできなくなったが、さずがに素晴らしいお家だった。庭も良く手入れされ、借景も美しく、インテリアも日本のものが上手に配置され、本当に居心地の良い空間に作られていた。奥さんが用意してくださった朝食を、景色を見ながらテラスで頂いた。次回バンドゥンに来る時には是非泊めて頂くことにしよう。

 さて、いよいよバンドゥン市内に向かう。ここでの目的も本当はたくさんあったのだが、今日中にジャカルタに戻らないとすでに一日予定をオーバーしているので、時間が足りない。残念ながら、市内で費やすことのできる時間は4時間ばかりなので、まずはC59のTシャツを購入することにする。通常このブランドはインドネシア国内でも定価で売られあまり値引きがないのだが、本拠地バンドゥンにもないのだろうか?扱っている店を何軒か見ているうちに1軒がディスカウントしているのを発見。男性物がメインだが、女性用や子どものTシャツも入れて60枚程度購入する。次はスリン(笛)。スンダの楽器を製造している家内工場を探す。アセップさんの工場で10本ほど購入。良い音色だ。
 結局バンドゥンを出発したのは昼食後の1時を少しまわった頃であった。ここからは以前通ったことのあるジャカルタ〜バンドゥンの懐かしい光景だ。スンダの山並みは美しい。のどかなスンダの竹のガムランと笛の音色にぴったりのお茶畑や棚田が続く。高速を降りてジャカルタ市内に入ったら相変わらずの渋滞だ。パサールミングの家に帰って来た頃には日も暮れていた。予定より一日遅れの帰還となった。
 とにかく何を置いてもマンディをして休憩をしたいのだが、すでに約束していた客が順番を待っているのでそうはいかない。まずは出発前に頼んでおいた名刺印刷ができあがってきているので、それを確認して支払を済ませる。次ぎはあのスカートの試作品のできあがりのチェックと、見本の委託生産の量と値段の交渉を始めないといけない。ジャカルタにはもう明日一日しかいないのだから、大変である。カーゴをどこにするかもまだ検討中だったのだが、一社がその夜遅くに営業に訪れる。なにやらかやで気がついたらもう夜中になっていた。


Pijit・・・インドネシア式のマッサージ。
 現地では非常にポピュラーで 家族や友人同士で行ったりする。 もちろん専門の先生もいる。




Mandi・・・お風呂・水浴び。インドネシアでは日本のように 湯につかるという 習慣はない。もっぱら水浴びである。
 夕方から始まった頭痛が治まらない。この夜、私は生れて始めてHANDAの家族にPijit(ピジット・注右)をしてもらった。あまりにも身体が凝っていたので、一時間もかかった。背中の一ヶ所が赤くなっているらしく、そういう場合は風邪なのだそうだ。ピジットはなかなか気持ちが良いものだが、最初はちょっと不安になった。輪になったサロンを一枚渡されただけでどうするものか分らない。どうやら裸になってそれを纏うらしい。何かの油脂のようなクリームを塗って、身体の神経の部分をマッサージするのだが、これがなかなか効く。痛いような気持ちが良いような…。筋肉を揉み解すマッサージとは少し違う不可思議な感覚。身体の中から悪い物が出て行くようなカンジがした。ピジットの後は頭痛も消えてぐっすり眠ったのだから、その効用たるや凄いものがある。しかしピジットの後に湯船につかったらもっと効果があるように思うのは日本人だからなのかなぁ。あとはMandi(マンディ・注右)だけというのがちょっと残念な気もする。
 翌日は残された食材の買付けやカーゴの手配、その他交渉ごとや荷物の整理に一日を追われた。あっという間に夜になり、HANDAの家族にはゆっくりお礼を言う間もなかった。翌日は12時スカルノハッタ空港発のガルーダでバリに向った。本当に忙しい旅であったが、ジャワ北岸を回ることができ、そして念願のバティックも手に入れることができ、そして何よりも多くの暖かいインドネシア人の心に触れることができた、素晴らしい旅であった。

 


 

 

 

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