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NORIKOの旅日記 in Indonesia

No.1 スラバヤ、ジョグジャ、スマランの旅
〜1999年9月〜



 1999年9月にワヤン(店のスタッフ)の結婚式がバリであったので、それに参列するのを機会に、スラバヤとソロ、ジョグジャ、スマランを旅した。旅といっても買付けや情報収集を目的としたもので、ゆっくり景色や情緒を味わう間もなかったのであるが…。
 ガルーダやメルパティの本数が減っているため、バリで1泊して翌朝早くボーラグでスラバヤに飛んだ。ナンカチップスを店に入れてくれている松田さんの紹介でガイド兼通訳の女性が空港へ迎えに来てくれている筈だったのだが、それらしき人物は見当たらず1時間以上も待ちぼうけを食ってしまった。どうやら彼女は時差を計算に入れずに勘違いをしていたらしく、なんとか会えて無事旅は始まったのだが、こういう時のことを考えると、やはり現地での連絡先を聞いておくべきだったと反省した。

MIROTA(スラバヤ)の店内
インドネシア各地の土産物産屋さんが仕入れにくる店
 スラバヤは商業都市で観光としてはさして行くところもなさそうである。大きな動物園があるらしいが…。ここで目についたのは中国系商人の活躍である。当日私を案内してくれたMIROTAというBATIKを中心に伝統工芸品やみやげ物を大規模に扱っているお店も、経営者は中国系であった。驚いたことに年配のそこの店主は今もオランダ語で商談をしていた。後で人に聞くと、スラバヤでは植民地時代からの商人が多く、彼らの間では今も時々オランダ語が使われているそうだ。

MIROTAの縫製工場で・・
 大阪は東ジャワ州と友好関係にあり、その中心のスラバヤと大阪は商業で強く繋がっている。大阪―スラバヤ間は船の行き来も多く、コンテナは2週間で到着するらしい。そういう意味では商売の基地として適した町であるが、私はあまり魅力を感じることができなかった。どうも私は商売人には向いていないのかも知れないね。
MIROTAのMAYA(娘さん)の接待付けにあった私はよもやよもやのSalah Makan(食中り)で、高熱と吐き気に襲われ、スラバヤからジョグジャカルタ行きの飛行機の中では本当に死ぬ思いであった。どうも前の晩に食べた小さい貝にあたったようだ。一緒に食べたMAYAさん達はケロっとしていたので、たぶんもう免疫があるのだろう!すすって食べるこの小さい貝はスラバヤの名物でもあるらしいが、地元出身の人も久しぶりに食べると食中りをするらしい。貝は常々気をつけていたけど、やはり油断禁物である!何回もインドネシアを旅して初めての経験であった。

バティック絵画の店内で
 ソロやジョグジャでは主にBATIKをみてまわった。ジョグジャのバティックの特徴は色は青と茶が主で、モティーフはイスラムの影響をうけ幾何学的なものが圧倒的である。しかし近年外国からの需要も相俟って、バティック絵画が一つのジャンルに成長している。色鮮やかで絵としても価値の高いものも時々見受けられる。今CitaCitaで飾っている綿の大きなバティック絵画はグル(師匠、先生)が描いたものだそうで、私はなかなか気にいっている。

テラコッタのお店
 またジョグジャでは自然の恵みから作り出されたインドネシアらしい商品にたくさんであった。香水のベチバーで有名な「ベチベル」という草の根っこを織り込んで作ったタペストリーを見つけた時はちょっと感動した。インドネシアでは「Akar Wangi」と言われるこの植物はこの国の特産であるが、まだ日本ではあまり知られていない。白檀に似たウッディ系の良い香りがする。このタペストリーで部屋の中は心地よい香りで満たされる。さっそく輸入のため委託生産をお願いする。

ココナッツ製品の工場で
 テラコッタ(素焼き)の産地にも出かけた。CitaCitaの入り口で今や金魚の住処となっている大きなテラコッタの甕と同じような商品が、ここでは所狭しと並べられていたが、その値段の安さには驚かされる。今回はコンテナを出すつもりではなかったので残念!仕方がないので、キャリーできる範囲でTeh Poci(ティポットセット)を購入することにした。

また色々なKonveksi(家内工場)へもお邪魔した。石細工の工場や、ココナッツ製品の工場etc。このココナッツ製品の工場の親父さんを私は結構気に入ってしまった。職人頭みたいな親父さんで、良い商品を製作していた。しかしどれも受注生産で、しかもひとつひとつ手作りだから、欲しいと言っても最初はなかなか取り合ってくれない。店で使ってみたい食器があったので、相談した結果、分けては貰えることになったが、仕上げがまだできていない途中の製品だった。

そこで私達もその仕上げの作業を共に手伝うことを条件にやっと購入することができた(笑)。女子工員さんや親父さんと、仕上げに油を塗る作業を一緒にしながらビチャラビチャラ(べちゃべちゃしゃべった)のあの時間は、今となっては懐かしい思い出になっている。



インドネシアの「娘」リンダと


ジョグジャの街角・・・子供たち



ワヤンの結婚式風景

 さて、行程からは少々無理があったのだが、私はどうしてもスマランへ行きたかった。理由のひとつは店の皿やカップをスマランから当初仕入れたのだが、コーピーカップが少々足りない。気に入っているので追加を購入したかったからだ。


でも本当のところは別に理由があった。実は3年前から私はインドネシアの学生を支援する里親になっている。今私が仕送りをしている「娘」さんがスマランに住んでいる。会えると良いなぁと思ったが、電話がない。日本を出発する前に手紙を送ったが着いているかどうかも分らない。ジョグジャカルタのホテルの電話番号を伝えておいた。何度かの彼女からの電話がようやく繋がり、私達はスマランにあるマタハリの前で会うことになった。

私達が予定より2時間も遅れてしまって会えるかどうか心配したが、彼女は待っていてくれた。なんと生まれてこのかた、ずっとスマランに住んでいる彼女だが、マタハリデパートに来るのは始めてだそうで、物静かな感じの良い娘さんだった。二人でマタハリの上にある食堂でミーバッソを食べて話をした。ただそれだけだったが充実した時間だった。

彼女は両親と一緒に撮った写真を見せてくれた。ご両親は市場で働いているそうである。今度はいつ会えるか、そしてもう一生会えないかも知れないけれど、家畜の食料について一生懸命勉強しているらしいインドネシアの娘さんに会えて、心が清々しく、彼女の将来が幸せであること、そしてインドネシアの未来が明るいことを祈らずにはおられなかった。


中部JAWAを駆け足で廻ってバリに戻り、ワヤンの結婚式に出席した。ナントCitaCitaの店のお客さんもたくさん参列してくれていたので、嬉しかったが、スラバヤの食中りの後遺症で体調は最悪。ワヤンのお母さんにご挨拶して早々にホテルに戻ってダウン。夜の祝賀パーティに出席できなかったのは残念だった。帰国後、ワヤンの祝賀パーティを、店のお客さんと一緒にお祝いする機会をもつことにした。

 

 


 

 

 

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