ここで少しインドネシア人気質について触れてみたいと思います。とは言え、なにせ多民族多宗教多言語の国家ゆえ、一言でインドネシア人について語ることは難しいし、元来ひとつの国民を、一言で表現することはステレオタイプ化した偏見を生むことにもなり兼ねないので、ここではインドネシアの国是というようなことからご紹介してみたいと思います。ご承知のように第2次世界大戦の日本の敗戦と撤退、その後のオランダからの独立、これによって初めてインドネシアという国家が成立したわけですから、いまだ国家が誕生してから半世紀という新しい国です。熱帯または亜熱帯地方に、海やジャングルに阻まれた民族・人種が島々に生活してきた歴史は、まさに人類学上の貴重な宝庫であるわけですが、一方で近代国家という視点から眺めると、よくぞわずか半世紀で現在のような国体が形成されてきたものだと驚かされる一面もあります。かつてボルネオ、ジャワ、スマトラなど島の単位で文化や伝統が語られてきた時代から「インドネシア」に国家統一されたのは皮肉なことに長年続いたオランダの植民地支配でした。まさに「オランダ領東インド会社」が支配したエリアが現在のインドネシアとして形作られているのです。多くの国民が自分たちを、オランダ植民地主義への抵抗運動から生まれたインドネシア人としてのアイデンティティを共有し、インドネシア共和国の国民として自らを呼称し、インドネシア語という共通語を話すようになって未だ2世代しか経過していない国であるという事実を、私たち外国人とりわけ太古の時代から日本人であると思っているような私達にはなかなか理解し難いし、ついつい忘れてしまいがちになります。
このような背景から成立した国家を守り育てていくために初代大統領スカルノの時代に作られた国是が「パンチャシラ5原則」です。一言で表現するなら「多様性の中の統一」です。この精神は今もあらゆる政治や生活の場で繰り返しスローガンとして掲げられています。そしてこの多様性の中の統一を保障するためにパンチャシラ五原則が掲げられています。
- 神への信仰。
- 公平で文化的な人道主義。
- インドネシア国家の統一。
- 協議と代議制によって導かれる民主主義。
- 全国民に対する社会正義。
更に統一の要は国語としてのインドネシア語です。古代マレー語(ムラユ語)を元に改良されてどの民族も簡単に習得することができるように再生された言語であり、わずかこの半世紀で、国民の8割近くがこの言語を話すようになったと言われています。インドネシア人は生まれ育った母語(スンダ語やジャワ語のような)とインドネシア語が話せるバイリンガルな国民なのです。ちなみに母語と言われる言語はインドネシア国内で300以上もあるといわれています。国家成立時も今も政治の中心はジャワ人ですが、そのジャワ語が排除されて、しかも外国語も排除し、インドネシア語を国語として策定したインドネシア国是というものの意義に改めて感動させられます。もうひとつこの国の重要なテーマが宗教です。スハルト退陣以降の政治不安や各地の紛争、自治や独立の動きなどの報道で、しばしばイスラム過激派の台頭が宗教対立の激化を生むのではないかと懸念されたりしていますが、しばしばインドネシアに訪れるものにとってはいさかか雰囲気が異なるように感じられます。確かにインドネシア国民の9割近くはイスラム信者であり、当然のことながらイスラム国家であると言えるのですが、他のイスラム国家とは少し様相が違うように思われます。イスラム経典が国是ではなく「パンチャシラ」が国是であり、その第一原則の神への信仰にには唯一神アラーへの信仰が明記されていません。一つの神への信仰および宗教を奨励していますし、無宗教は許されていません。イスラム教以外を排除するような姿勢はどちらかというと「パンチャシラ」の精神に反するものとして受け止められています。ちなみに国家の紋章であるガルーダはヒンズー教の世界で神の使者として尊ばれている架空の鳥であり、各地で上演されている影絵ワヤンのテーマはヒンズーの物語「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」であり、現在ではイスラム1色に見えるジャワ島ですが、過去長らく続いたヒンズー教や仏教さらには古来アミニズムと統合された異色のイスラム教であると考えられます。国民の祝日もイスラム関係が5日、キリスト関係が3日ヒンズーと仏教が1日という具合に、信仰者の割合に応じて設定されていたり、学校での宗教の時間も、たとえクラスに1名でも他の宗教を信仰する生徒がいれば、その生徒には別の宗教教育が保障されています。私の印象ではパンチャシラの「神への信仰」は一種道徳心や哲学の必要を説いているようです。日本人が良くインドネシア人に宗教をたずねられて「無宗教」と答えている場面に出くわしますが、そのときの彼らの印象は「無宗教」イコール「不道徳」といった感覚で、どうして日本人は自らを「不道徳」と表現したりするのだろうと思っているようです。多様性の中の統一には宗教心、まさに高い道徳心が求められており、現実に多数派であるイスラム教徒と他の宗教が対立しないための方策であるように思われます。
このようにインドネシア人は日常的に「多様性の中の統一」が求められ、元来の熱帯地方のおおらかさや、共同体を守り育んできた相互扶助意識などに支えられ、生真面目な日本人からみると少しばかり、その“いい加減さ”に驚かされるときもあるのですが、これがこの国を守っているように思います。一種妥協とも受け止められる懐の深さと、大げさとも受け止められるシナリオ劇の人間模様が、この国の特徴なのではないでしょうか?インドネシア人から最も嫌われる態度は、直接的な怒りの表現です。寛容であることが美徳とされているので、怒られるのも怒るのも良いことではないと思われています。その結果、日本人はしばしば誤解されることがあるようです。部下を直接的に叱ることは日本ではよくあることですが、そのようなことを皆の前でする上司は最も低い評価を受けますし、仕事上にも支障をきたします。インドネシアの政治は分かりづらいし、いつ何が起こるか分からないといわれますが、政治の世界が最もSandiwara(劇)の世界であり、表面的には礼儀正しく笑顔で握手をしている裏で、どんでん返しのシナリオ劇が進行しているのです。喜びや悲しみは大げさなほどに表現されるのに、怒りだけは直裁的な表現を避けるインドネシア人気質は、日本人には少し分かりにくい面もありますが、人前で攻撃的、威嚇的な態度を避けるように、そして尊大な態度を取らないように気配りが必要かと思います。インドネシア語の表現もイントネーションはやわらかく抑揚があり、湿っぽい、粘り気がある音感がします。きちんと発音していても、早口でドライに話すと伝わらないこともあります。
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