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2.ちょっと長〜い自己紹介

硬い話はこれくらいにして、この原稿をティグレから依頼された「私」について自己紹介させて頂きます。私は(有)しごと総研の代表取締役で、大阪の長堀通りでインドネシア料理店「CitaCita」(チタチタ)を営業いたしております。会社の名前と料理店に明らかに違和感(笑)があるのですが、まさにインドネシア事業部門は私の個人的な関心の分野です。他の取締役各位は、おそらく毎回インドネシア料理を食べさせられる羽目になって辟易としているのでないかと想像しています。
当社は、産業構造の転換、情報化、国際化、低成長時代を前向きに受け止め、新しい仕事スタイルを提案することを目的に、中小企業およびその団体を中心に、新業態の提案・企画およびコンサルティングを行っている会社です。取締役は私含めて5人で構成され、それぞれは別会社の社長さんや経営に携わる人達で、当社それ自身が、一種スモールビジネスのネットワークであり、同時にワーカーズコレクティブでもあるような会社です。最近の主な業務委託は、やはりIT時代に乗り遅れることの不安からホームページの制作やインターネット活用についてが多く、また規制緩和への対応や、新たな市場開拓のためのマーケティングなどが求められてきています。

3年前、皆さんもご承知の通りインドネシアでは大きな政変がありました。アジアの通貨危機が引き金となり、暴動へと発展し、長年、政治のみならず経済をも支配してきたスハルト政権が倒れました。その暴動は、私のインドネシアの友人たちにも、その私生活に大きな影響を与えました。私がインドネシア語を習っていた大阪在住の中国系インドネシア人学生は、ウジュンパンダンの出身で、町の商店街が焼き討ちにあい、両親が経営する海産物の商店を失い、日本への仕送りがなくなり卒業できない状態になりました。またジャカルタで大阪の日系企業に通訳兼営業で就職していた友人は、暴動を機にその会社が撤退したため失業し、乳飲み子にミルクも買えない状態になりました。物価も急騰し、多くの友人たちの生活が脅かされました。また日本から現地企業の工場長として赴任していた日本人の友人も、民族対立に翻弄された一部のインドネシア人の豹変した姿にショックを受け、精神的な打撃を受けました。

政治的にも宗教的にも民族的にも、様々な形で問題が噴出し、まるで革命的な状況が日々続く中で、私の友人たちは、現状打破に向けて傷つきながらも果敢に立ち向かい、国の未来を真剣に考えていました。一種平穏に見える日本社会は、今その内部から腐っていくのではないかと日々悶々としていた私にとって、偶然にも彼らの真剣な生き方や悩みに付き合うことになって、私も何かしなければ思い始めたのでした。当初は私もそれなりに収入がありました(笑)ので、まずは個人的にカンパをしていたのですが、この方法では私の内面を埋め合わせることができませんでした。次に日本のNGOを片っ端から検索し、どこかに所属して活動しようかとも考えましたが、ごく普通のインドネシア人と接触してきた私にとっては、そのNGOの主張はどれもインドネシアの平均的な意見から程遠く、政治主義的に感じられました。

ある日、当時お付き合いのあった在大阪インドネシア領事館の領事さんから、財政危機で日本にあったインドネシア貿易振興センターも閉鎖になること、そして例年そのセンターが行っていたビジネスツアーも中止の危機にあること、代わりにそのツアー企画を当社に依頼したいという要請を受け、政治状況が不安な年の秋に、大阪を中心に西日本の中小企業10数社を引率してインドネシアにビジネスツアーに出かけました。そのような経験をするなかで、日本とインドネシアの経済交流が中小企業間ではまだとても少ないことを知り、大阪でインドネシアと経済交流のある中小企業を組織してはどうかと領事に提案したところ、その領事が音頭をとってJIBAKという組織が結成されました。その節にはティグレの西脇さんや土野さんにもお世話になりました。この紙面を借りてお礼申し上げます。

一方大阪にはインドネシア料理の専門店がないこと、とりわけイスラム系インドネシア人にとっては外食もままならないこと、領事館もお客様が来ても対応できないことなどを知り、一挙に飲食店を開業する方向に走って行きました。在日のインドネシア人と日本人の交流の場として、さらには宗教、民族、政治的立場が違ってもインドネシア料理という点では共有できるし、またボランティアで交流スペースを維持するのは難しいけれど、飲食業なら維持する可能性もあるのではないかと考え始めました。思いついてからナント3ヵ月後には店を契約し、1998年12月にCitaCitaをオープンしてしまいました。

初めから経営者としては「不純な動機」で始めた飲食業ですから、もうこの2年間の経営たるや大変な状況でした。飲食業も初めてならインドネシア人を日本で雇うのも初めて!ましてや底冷えの大阪経済で長年続いた老舗の飲食店さえ廃業している中での船出ですから、未経験者の上に、私個人の資金だけで、55席の店を開業してしまった無謀に、後から反省しても、あとの祭りとはまさにこのことです。飲食業を始めるにあたり、他の4人の取締役からは、厳しい指摘も受けましたが、私の気性を良くご存知の面々ゆえ、やむなく承諾されたのですが、今振り返っても、よくぞ見守って貰ったと感謝しています。

あれから丸2年が経過しました。今では大阪のインドネシア情報発信基地として、またインドネシア人コックによる本格的な専門料理店として、なんとか細々ではありますが定着しつつあります。特にホームページを見て、全国から来店されるお客さまがおられることには驚ろかされます。まさにインターネット時代であり、国際化時代なのでしょうね。

昨年にはバリに現地会社PT.CitaCitaAgungを設立しました。今後はインドネシアと日本のスモールビジネスの交流に力を入れていきたいと思っています。

少々、自己紹介が長くなってしまいましたが、240を越えるといわれる民族・人種が存在するインドネシア、この多民族・多宗教の国家が今後どういう運命をたどるか?アジアが様々な民族と文化を内包し、今後どのような社会を構築していくのか?私の好奇心はいよいよ深まるばかりです。企画コンサルティング業と飲食業の2足のわらじを履いての2年間でしたが、今年はぼつぼつその接点を探求してみたいなぁと思い始めています。

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