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1.インドネシア概要

インドネシア共和国は赤道に沿って17500余の島々で構成される島国で、その広さは190万5000平方キロ(日本の5倍)、東西の距離は5,000km(北米大陸に匹敵)にもおよんでいます。人口は約2億人で世界第4位の人口大国。これらの島々にはジャワ人、スンダ人をはじめ300をも越える民族が居住し、宗教は人口の約9割はイスラム教、ほかにプロテスタント、カソリック、ヒンズー教、仏教など多宗教であり、使用されている言語も300を超えていると言われている、世界でも稀に見る多民族・多宗教・多言語の国家です。1945年の第2次世界大戦の終焉とともに誕生した新興国家でもあります。

天然資源に恵まれ、石油、天然ガス、石炭、錫、銅、ニッケル、マンガンなどの鉱物資源は今なお豊富に産出し、実り豊かな農産物にも恵まれ、コーヒー、砂糖、香辛料などはこれまでも大量に輸出されてきましたし、海産物にも恵まれ、エビ、まぐろ、かつおなど日本の食卓はまさにインドネシアの海に依存しています。またかつてボルネオと呼ばれていたカリマンタンをはじめイリアン、スラウェシなどには今なお深いジャングルが広がり、ラタン、木材などの森林資源や、貴重な動植物が豊富に存在します。インドネシアの産業のもう一つの特徴はその伝統工芸品にあります。過去、海と森と島によって隔てられた諸民族は、多様な文化と伝統を育み、個性的なデザインや手の込んだ手工芸の技術は高く世界から評価されています。

独立して間もない頃のインドネシアで、世界でも名だたる貧しい国のひとつで、その国民所得たるや80ドルにも満たない状況でしたが、80年代には500ドルを越え、96年には1000ドルに達するかと思われたのですが、97年から始まったアジア通貨危機によって、インドネシア経済は大打撃を受け、また経済の危機は政治の危機へと発展し、30年あまり続いたスハルト政権が倒れました。しかしこの政変は同時に政治の民主化と経済の自由化を促進することとなり、投資分野での規制緩和が次々と打ち出され、その動きは現在も継続的に進められています。今後は資源や加工品の輸出のみならず、人口2億の巨大マーケットとしても注目を集め、今後の発展に大きな可能性を秘めた国でもあります。

日本とインドネシアとの関係は、互いに戦後の経済成長を大きく支えあった関係でもあります。91年のインドネシア対外貿易で、日本向け輸出は107億ドルにものぼり、全体の37%にもあたります。一方日本からの輸入は63億ドルで輸入全体の25%。外国からの投資額(89年度)は、日本は6億ドルで第一位、ちなみにアメリカはその半分の3億ドルです。ODAにおいては、日本はインドネシアの最大援助国で、91年は10億6500万ドルにも上っています。このように見ると、日本とインドネシアはアメリカや韓国よりも近くて深い関係のはずなのですが、日本の国内ではインドネシアについてほとんど知られていないし、その知識も限れたものになっています。戦後の関係はまさに大企業と政府間の経済的関係が先行し、またそれらの権益を互いに保障する限定的な人間関係とそのシステムが形成されてきたと思われます。まさに日本企業のインドネシア進出は、原油、ガス、鉱物資源の確保と低廉な労働力の確保であり、さらに輸入大国日本の大動脈といえるマラッカ海峡の安全確保のためでもあったと思います。一方インドネシアのスハルト政権にとっては、電力、灌漑、治水、運輸などの基盤整備のための技術提供、当然のことながら国民所得の引き上げであったと思われます。しかし現在進行しているインドネシア民主化の嵐のなかでは、その関係の裏で私腹を肥やした軍・政治家との癒着・汚職が次々と暴かれてきています。

これからのインドネシアにとっては、現地資本の育成、とりわけプリブミ(華僑や外国資本ではない)企業の育成が重要な発展の鍵をにぎっています。かつて下請けとして活躍してきた日本の中小企業が、その活路開拓のためにも、新たに成長しつつあるインドネシアの現地法人と直接的に繋がっていくなら、大きな夢が育まれるのではないかと期待されます。

今インドネシア政府が鳴り物入りで進めているプロジェクトが自由貿易ゾーンのバタム地区です。インドネシアからの安い労働力、マレーシアのハイテク技術、シンガポールの資金調達と経営管理が一挙に手にできる自由貿易ゾーンで、輸入税・所得税・付加価値税は5年まで免税となっています。単に工場誘致のみならず、美しい海を背景にリゾートとしても開発され、バタムでの就労にかかわらず外国人に住居の購入も認められ、別荘を持つ人も増えています。すでに2000年1月から9月までにバタム島を訪れた外国人は81万人にも上り、うち日本人は3万人を超えているそうです。

また昨今日本のマスコミはもとより世界中に話題を提供したのが「味の素事件」です。最終的にはイスラム世界でも権威者でもあるワヒィッド大統領によって「味の素はハラルである」との明言で一見落着となったものの、この事件は宗教問題と言うよりは、極めて政治的な、そしてインドネシア的な事件でした。ワヒィッド大統領の汚職疑惑が取り沙汰される中で、戦後の日本企業とインドネシア政府関係者の癒着問題はこれからもまだまだ政治抗争の具と化して、様々な舞台に登場しそうです。国民の多くは「ハラルかハラルでないか」というよりは「白でも黒というインドネシア的政治の世界」を風刺している様子でした。

 またコンピュータの普及も急速に進んでいます。データによると96年から4年間でインターネット人口は36%も増加し、この勢いでは2003年には300万人に達すると推測されています。ちなみに活用者の60%が男性で平均年齢は35.7歳だそうです。私が訪れたジャカルタの企業では、小さな企業でも事務処理はパソコンで行いほとんどの企業がインターネットで発注管理を行っているようでした。シンガポールやマレーシアなどを経由して商品が輸出されていく経路のなかで、必然的に需要が高まっているらしいのですが、私の感想では、鉄道がないから一挙に車社会になったのと同じで、近代的な生産システムや会社組織の経験がなくてもコンピュータが全てを賄ってくれるからこそ、コンピュータへとシフトしていくというのが実態ではないかと思いました。今やインドネシアでも携帯電話は必需品となりつつあります。すでにジャカルタでは携帯メールが普及しつつあり、いつまでも日本が進んでいてインドネシアが遅れているという観念を持っていると、事情が異なってくるのではないかと思います。むしろ民主化のエネルギーや将来に対する希望、南国の豊かな実りと伝統的な芸術性、多様性の中の統一など、インドネシア国民が作り出す新しい文化と仕事のスタイルから、日本は大いに学ぶものがあるではないかと思っています。

■国土の面積 192万平方キロメートル(日本の5倍)
■人口 2億442万人(1998年)
■首都(人口) ジャカルタ-934万人(1996年)
■1人当たりCDP 468ドル(1998年)
■1人当たり農地面積 0.15ヘクタール(1997年)
■政治体制 共和制
■元首 アブドルラフマン・ワヒド大統領(1999年就任)
■議会 一院制
■為替制度 完全変動相場制(1997年から)
■通貨 ルピア
■産業構造
(1998年GDP比:経常価格)
農業-------18.8%
工業-------45.7%
サービス---35.5%
出典:「アジア経済ハンドブック2001」(ぜんにち)

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