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「現代写真のダブルスタンダード-日本と欧米の基準-」日本の写真集はアート作品として流通している」 The Third Gallery Aya  綾 智佳

 

写真講座で「写真」の新しい基準に出会った私は、写真についてもっと知りたいと思うようになりました。そして、その世界に無謀にも飛び込んでいってしまったのです。
具体的には大阪国際写真センターというところで働くようになりました。現在のNPO法人彩都メディア図書館ですが、写真文化を普及させることを目的に写真展企画、写真集企画、写真講座運営などをしているところです。私が受講したのはここが運営する講座でもあったのです。
私にとって、とてもありがたいことにちょうど図書館の運営に着手し始めたばかりの頃に仕事を始めましたので、写真集のデータをコンピュータに入力するという作業を約5000冊分行いました。

当時の私はあまり自覚できていなかったのですが、写真を知るのは写真集を見るのが一番効率的、効果的です。それを図らずも集中して体験できた訳です。
また、日本の写真を知るのには写真集はとても重要なポイントになります。多くの欧米の写真の評価は作品そのものだけで、写真集はどちらかというと作家ポートフォリオ的な位置づけなのですが,日本は状況が違います。長く写真集自体が作品そのものであり、最終形態として写真集で作品を発表する状況が会ったのです。最近、少し変わった来たもののやはりその状況は今も続いています。

特に最近、日本の写真集の素晴らしさが世界の写真の中で知られるようになってきました。1960年代から70年代にかけて、日本では世界に誇れるようなレベルの写真集が多く作られていたのですが、そのことを写真のコレクタ-達が気がつき、発売当初は数千円で販売されていた写真集が100万円を超える値段で取引されることも珍しく ないという状況がおこっています。

なかでも川田喜久治の「地図」という写真集は写真はもちろんのこと、装幀、大江健三郎によるテキストとすべてが写真集という概念を超えた内容で、これが1960年代につくられていたことも驚きに値します。また細江英公の三島由紀夫と撮影した「薔薇刑」は第一版、第二版、第三版とそれぞれ装幀が違うというもので、写真は同じではあるのですが、それぞれが違う世界を作り出し、そのようなことが可能だったのかという従来の価値感を揺さぶられる内容になっています。

図書館では第二版の横尾忠則の装幀ものがあり、写真との対称的なその形態がさらに写真を引き立てていることにショックを受けました。又、彼らに続く作家として、荒木経惟、森山大道、石内都という今の日本の写真界を代表する作家たちが続々と写真集を作ったのです。
そのような素晴らしい写真集を前提として写真に接してきた日本の写真家たちの作品がおもしろくないはずがない!と、声高に叫びたいところです。

この原稿を書き終えて、ニューヨークの国際写真センターでの日本の現代写真とビデオを紹介する展覧会「Heavy Light」のオープニングに参加するために出かけます。畠山直哉さん、やなぎみわさんという日本を代表する写真家に混じって、うちのギャラリーの取り扱い作家である小松原緑さんと鍛治谷直記さんが出品をしているからなのですが、日本の写真と現代美術に関する関心はますます高まっている表れだと感 じています。これは機会があれば、またご報告したく思います。

少し話がずれてしまいましたが、私自身はそれを仕事として1冊1冊を手にとり、入力のためとはいえ、詳細をみたことは今の私の重要な基礎を作ったように思います。
現在は図書の数は3万冊ほどに増え,誰もが手に取ることが出来る開架の状態で運営されています。
このような図書館は日本では他にはないのです。大学や美術館では図書はあっても閉架式で専門家のみを対象にしているのが現状です。
このようなことが可能なのは、経済だけでないところでものが動く関西というローカルが私の基礎を作ってくれたという自覚が最近、強くなっています。

「サム・ワグスタフ」が語っていたように美術の世界では最終的にはその歴史を知り、加担していく意識があると面白みが全く違うものになります。その為には美術史、写真史を知っているのが前提になるわけですから、図書があることはとても重要な必要不可欠条件です。それが存在する状況に本当に感謝!です。

 

著者プロフィール: 綾 智佳 (あや ともか)
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