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白夜を求めて旅をする鳥テレビや映画の撮影の仕事では、カメラアングルについていろいろな呼び方をします。たとえば「クローズ・アップ」「バスト・ショット」「フル・フィギュア」とか言うあれです。もともと外国から持ち込まれた外来語なので、海外で仕事をするときにも、たいがい日本での呼び方のまま通じるので助かります。でもたまに「なるほど、こういうふうにも言うのか」と新鮮に感じるカメラ用語に出会うこともあります。
ふと見上げた空。その高い空を飛んでいく鳥たちの目に、地上の景色はどんな風に見えているのだろうか。飛行機の窓から見るのとはだいぶ違うだろうな。僕はよくこんなヒマなことを考えます。特に遙か遠くまで飛んでいく「渡り鳥」。一体彼らは眼下にどんな景色を見ているのでしょうか。2001年にフランスのプレジデント・フィルムズが制作した「WATARIDORI」という映画でも紹介されていた渡り鳥の一種に、キョクアジサシという鳥がいました。これはまた凄い渡り鳥なのです。どのように「凄い」のか、以下ちょっとだけ、そのプロフィールを紹介します。
キョクアジサシ:鳥網・コウノトリ目・カモメ上科・アジサシ族 なにげなく「冬季は南半球の南極圏に渡って」とありますが、夏の間は「北部ユーラシア、北アメリカ…」で繁殖すると言うのですから、このとんでもない渡り鳥は、北極圏から南極圏へ、そしてまた南極圏から北極圏へと、一年のうちに地球を縦に一往復するのですよ。その渡りの距離は往復32000㎞にも及ぶのです。本当にとんでもない「決死の渡り」を実行してしまう、かなり本気の渡り鳥です。 地上の楽園
僕たち人間の感覚から言うとキョクアジサシのような行動は、よほどの冒険好きでないかぎり「狂気の沙汰」というべきでしょう。自力走行で、毎年地球を一往復するなんて、相当なご苦労とリスクが伴うことが予想されます。でもそういえばこの鳥、羽根の色などのデザインも未来的で、ちょっと得意げな表情をしていています。羽根もなく、地べたにへばりついているしかない僕などにとっては、うらやましい存在でもあります。 ササキカズオ: 哺乳網・霊長目・ヒト上科・教職員科・通勤亜目 千葉県から東京都と県境をまたいで、地べたに張り巡らされた鉄の線路の上を、西へ東へと日々往復運動を繰り返す僕の生活。鳥たちにとっては、こうした僕のような人間の生態のほうが、よほど不思議に見えるのではないでしょうか。たとえ僕が、鳥の言葉が話せたとしても、仕事のことやら人生のことやら、この「地上の楽園」の事情を彼らに説明するのは、かなりの困難が伴うことかと思います。 ところで、僕という人間の生息域は、もっと大きなレベルで見ると「東洋」というエリアに属しているようです。しかもよりによって「極東」などというどこか物騒な言い方で呼ばれています。なんで僕の住んでいる場所は「極めて東の端」と言われるのだろうか? 中学校の教室などに貼ってある世界地図を見ると、日本はまさに中央も中央、世界の「ど真ん中」に自信満々で座っていたはずです。子どもの頃これを見ると、ちょっといい気分がしたものです。それがなんで「極東」なんて呼ばれなければならないのだろう。地理の時間に先生が言っていた何か大事なことを、またもや聞き落としてしまったのだろうか? この疑問が氷解したのは、僕もかなり大人になってから。ロンドンかどこかで初めて見た世界地図が教えてくれたのです。私が見たその地図は「日本なんて国は知らんよ」という顔をしていました。実際その地図に日本という国はありませんでした。いいえ実はあるにはあったのですが、あるべき所にはありませんでした。 バックミンスター・フラーの方向感覚この時の体験で相当悔しい敗北感を味わい、僕はそれを根に持ったのだと思います。だから後になって、実は子午線の基準線0度の裏側には、日付変更線というものがあることに気づいた時は喜びました。日本はどちらかというとこの日付変更線に近い場所にあり、だから陸地としては、世界で一番早く朝が来るということになるのです。「なあんだ、大英帝国と偉そうに言っても、君たちはいつも日本より7時間は遅れているではないか」と意趣返しができたのです。 人間社会の取り決めについてどうのこうのと比較してもしようがない、ということは分かっていても、あれこれと考えるのが人間の人情というもの。自社と他社の平均年収を比べてみたり、自宅の庭の芝生を比べてみたり、頭の毛の多さを比べてみたり。こうしたパーソナルレベルのことは、今流行の「ポジティブ・シンキング」という思考法を活用することによって払拭することも出来ますよね。でも、世界地図に記されていることや、地理や社会の授業で習うような事まで、払拭してしまう訳にはいかないものです。 ところが、こうした世界の常識や社会の常識に公然と異を唱えたのが、異才バックミンスター・フラー。彼の作ったダイマクション・マップという世界地図は、地球資源を最も効率的に活用するためのもので、人類全体が生き延びていくための知恵として考え出されたものでした。その地図には国境もなければ、なんの社会的バリアもありません。各地を最短ルートで結ぶ送電線は、地球上のエネルギーを最も効率的に人類全体へ配分するはずでした。彼の考案した輸送路を使えば、水資源や鉱物資源、そして食料も、最良の方法で世界中へ配分されるはずでした。地球上の人類社会を、最も効率的に長持ちさせる完璧なアイデアでしたが、当時大国を支配する指導者たちは、この考え方に共感を覚えることもなく、それどころか全く関心を示さなかったようですね。彼らの仕事はむしろ、常に資源を「独占」することにあるのですから。 バックミンスター・フラーのダイマクションマップ バックミンスター・フラーは言います。これだけ科学文明が進んだ社会において、人間がいまだに国境を巡って揉めたり、西だ東だと言って喧嘩しておってはいかん。宇宙船地球号に乗るすべての人類が、みな同じように人間として認め合う価値観を持ち、全体として生き残っていくための思想を分かち合いなさい。西洋だ東洋だ、資本主義だ社会主義だ、大国だ小国だと、地球を分割していたら人類は全体として生き残ることはできない。こうした警句をたくさん残して去っていったフラーは、まさに「バーズビュー・空を渡る鳥の視点」で、ものを考えていたに違いないと思います。 西だ東だと言ってもバックミンスター・フラーによれば、おかしいのは東だ西だということだけではありませんでした。上も下もおかしいのです。そもそも東京で起立している人間と、ロンドンで起立している人間とでは、すでに「下」という方向が全然違うのです。地球と言う巨大な球体の上に、かなり離れて立っている、この二人の人間にとって、それぞれの「下」は一緒ではありません。彼らにとって「下」というのは、それぞれが地球の中心方向に引っ張られている方向であり、「上」というのはその逆方向にすぎません。だからお互いに自分から見て「東」とか「西」とか言っても、三次元的に見れば、それはまるでバラバラの角度を指しているに過ぎないのです。フラーに言わせれば、国際社会における取り決めと言っても、所詮は一時的で限定的な状況を、人間の限られた感覚で捉えたものに過ぎない、ということなのです。 こうしたフラーの思想に見られる価値観は、古くから東洋に見られる「相対的価値観」に通じるものがあります。老荘思想などでは、現世界の中でどんなに巨大なものも、尺度を変えてみれば小さいし、どんなに長い時間でも無限から比べてみれば一瞬に過ぎないというように、この世に「絶対的な尺度は存在しない」ということを教えてくれます。上や下、右や左、西や東といった方向も、ある特定の条件下で一時的に成り立つものに過ぎないのです。 こうした東洋の知恵も、実は地球規模で「渡り」に挑戦する鳥たちにとっては、当たり前のことだと思います。例えばキョクアジサシにとっては、単に地球の端と端に「白夜」の世界があって、そのふたつの間にあるのは、すべて、ただの中間地点なのですからね。それから、映画の撮影で使われる「バーズ・ビュー」という用語ですが、時にはこんな風にも言いますよ。「ゴッズ・ポイント・オブ・ビュー(神様の見た目)」 |
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【著者プロフィール】 佐々木和郎(ささきかずお) 1958年、宮城県生まれ
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