めんどう との戦い
ふーっ!
ここまで来てしまったか…。
この「来るべき音楽」についてのメモは、「音/響き」と「聴く/身体」との関係がまだ良くわかっていないのではないか。それが気になって記載しはじめたものなのだが、前回あたりから大きく逸脱し番外編が続いている。(本来は、その「響きと身体」へ軌道修正したいところ)
それはこのメモを記載している私自身に、大きなうねりが到来しているからなのだが…。今回それをご報告することがテーマに絡むのなら、メモとしても成り立つのではないか。
ただ、あくまで私事で稚拙なお話しになるかもしれない。そこは、あらかじめご容赦を…。
“退職したらもう一度聴きなおしたい!”漠然と思っていた。 20歳前後から聴いてきた音源が5,000枚ほどになっている。前々回 記したように一度しか聴いていないものも多い。
少しオーディオ装置のグレードをあげ、さあ聴くぞ!と。
しかし一方、昨年から親しい人が相次いで逝去していった。
言い知れぬ脱力感、空しさ、はかなさ…。
そして、自分もまたそう遠くはない だろう と。 そう“モノを持っては死ねないのだ”。
(実は、絵描きだった父が残した絵画に、いまだ てこずっている)
30数年のサラリーマン生活。面白いこともあったが、辛いことも多かった。そのほとんどは人間関係の悩み…それはどの業界も同じこと。
良くある話だが…在職中の夢想…会社を辞めたら! 我が愛馬(20歳になったAE86GTV)にムチ入れて、博多からプサン~インチョン~フェリーで中国本土へ入り、シルクロードを西へ、トルファンからロシアに抜けるか、カシュガルからタジク、ウズベクあたりから少し南下してカピス海を抜け、夢魔的都市バクーへ。アルメニアから黒海南岸をイスタンブールまで、あとはEUで整備されつつあるハイウエイを一路Parisへ。
“翼よあれが巴里の灯だ” なーんてネ。 それは浮世の夢の夢。 周到に準備したとして、韓国、いや中国までは入れるかもしれないが、すぐ数々のトラブルで断念せざるをえなくなり、車も売却か、放棄して10日もしないうちに帰国…となるのがオチでしょう。
そう、退職後は……のんびり田舎暮らしもある。もっと暖かいところへ移住もある。いや、そんな大それたことではなくて、現実には住まいのリホーム。古くなったキッチンやバスルームの改修…。
そうそう、車の買い替えもあるな、エコカーやKカーにする友人も多い。
かつての仲間たち…おおきく纏めると「蕎麦打ち」に「俳句」だ。
もちろん、それで 悪くはない。
実際は、もういい、もう結構、ゆっくりさせてくれ。という感じだからだ。
しかし、考えてみれば、私たちの多くは、あの60年代 反権威を心情にしたのではなかったか。いつのまにか飼いならされ、感覚までコンサバティヴになってしまった。
だいたい革命などおこせない民族なのだ。それは体質的に無理というもの。四季ある豊かな自然。水、樹木、入り江の多い海岸。少なくともこれまでは…血を砂で拭うなどということはなく…そして「便利」の名のもとに消費が煽られ、ずるずると近代なきポストモダン…。
いや、やめよう。
自分もそういう一人だ からだが。
そんななか、その大きな流れに竿をさすような、ある意味では無謀で愚かな挑戦が開始される。
つまり、私の中で何かやり残していないか、という裡なる声が響くのだ。
冒頭に記したように、聴き続けてきた音源をもう一度聴きなおしたい、から始まっている。
(5,000枚として、1日7枚聴き続けても2年はかかる計算だ。現実的に1日7枚も 聴くのは無理)
私にとっては、その時代、時代で、「生きる力」の「糧」となっていたものだ。
じゃあそれを、一人で悦に聴いていればいいのか。 この私、私の周囲だけがささやかに満たされれば良い のか。(そんなことはあるまい)。真の喜びや感動と言うなら“他者との関係でしか”ありえないと思うのだ。そう「未知のものとの…関係」。
特に私が聴き続けてきたImprovisation(即興)に注力したクリエイティヴ・ミュージックは、挑戦的が故に多くの聴衆を獲得してはいない。それは、自分の持っている美意識すらズタズタにされかねない果敢なものだからだ。しかし、聴衆が少ないからといって、それらを20世紀の徒花として埋没させるわけにはいかない。誰かが伝え続けねばいけないのだ。その責務を私が担えるとは思えないが、ほんとうに小さくてもいいアーカイヴスとしての「場」の必要を感じざるをえない。
さらに、CDが登場して25年。現行のCDには根本的問題がある、と言い続けながらも新音源のソースはCDでしかありえず。かたやアナログLPをちゃんと!聴けるところすら少なくなってきた。
しかし、ここで“なにも このわたしが 無理してやらなくてもいいんじゃないか”という思いとの戦いがはじまる。
世の中にはお金持ちが多い、財力ある人間がやればいいじゃないか、と。
一方 退職後、次なる生きざまに、これまでの棚卸しと、自分のリソースが問われていた。
“わたし、ならでは” “他ならぬ この私の持ちネタとは何か”
つまり昨今のお笑いブームだからではないが“ネタと芸”が問われてもいたのだ。
もちろん、まったく新たなジャンルへ挑戦。60歳の手習い…も、ないわけではない。
後半を迎えている人生。せっかくだからアレをやってみたい。どうせなら、これもやってみたい、と。
(07年問題)総合すると
<何かやり残してはいないか+おのれ のリソース(ネタと芸)>=進む道
それが私の場合、ひとことで言うなら「自由音楽のアーカイヴスと交流の場」の構築だ。
しかし、実のところリアルな「場」が必要かどうか。
“やりたいことがあったらイベント型で、どこか場所を借りてやればいいじゃないか”と。
“だいたい、IZUMIさんはノマディックな人なんだから、移動しない「場」が似合っているか、どうか?”を言う友人もいた。たしかに。
だが「最大の移動は、動かないことにある」と言った哲学者もいたはずだ。
たしかに、動けないのはつらいかもしれないぞ。それに、せっかく通勤から開放されたのに、また通勤を選ぶなんて!
そして構築のイメージは想定できるものの、何より「メンドウだな…」なのです。
プロデュース業(道程の予測)を長くやってきたからかもしれないが、ある程度先が見えるのです。
まず、自宅でやるのでなければ「場」は借用となる。「交流」を考えれば人々の集まりやすいターミナル駅近くの「場」ということになる。当然家賃が発生する。家賃分くらいは収入を得なければいけない。残念ながらクリエイティヴ・ミュージックに聴衆(顧客)は少ない。
そう、早くも資本の循環として先が見えているのだ。 普通は!ここで止める。
しかし、最後の余地として、少ないと言われる聴衆の拡大を、ジャンルや世代の幅を広げ集客を呼ぶ企画で獲得できないだろうか。飲み物を提供する対価で家賃分くらいは捻出できないだろうか?
飲食の提供となると保健所の許可が必要になる…。さらに食品衛生責任者も必要。
やっぱり止めるか、チャレンジするか、揺れ動いた数ヶ月。
その間、多くの方々に取材、意見を聞き、ノートをつくり…。
以降は手短に記載していきたい。
可能性としての「場」探しがはじまった。自分の住まいからの「通い」と「交流」を考えると中央線沿線で探さざるを得なかった。あらゆる不動産屋をめぐり、ネットもあたり、約半年。しかし、これは?!という物件には出会わなかった。歩きに歩き、新しい不動産屋には最初からの説明がシンドイので、A4一枚に
ポイントをワープロ書きしたものを持って回った。新宿を勧める人もいたが…中野、高円寺、阿佐ヶ谷と。もうこのあたりで手を打とうか、という物件もないことはなかった。そうして吉祥寺、国分寺と。
“音と映像の研究所型Caféをやりたいと思ってるんです”と言っても、勿論すぐには理解されず…。そのうち“また来たの?”と言われるまでになっていた…。
一方、このころ「事業計画書」をつくり「家族へのプレゼンテーション」もおこなった。
今年の2月、頼みの吉祥寺駅周辺はあまりの高額保証金で無理。最後 国分寺を集中的に回った。もう国分寺がダメなら、考えを変えなきゃいけない。喰い下がり、靴底を減らした。
探し疲れもあり、ほとんどあきらめかけていた。武蔵美大卒の二人が手作りしたという なじみのCaféまで出来た。歩き疲れては よくそこで休み、いろいろ教えていただいた。
でも、仲間からは“IZUMIさん、さすがに国分寺までは行けないワ”と言われた…。
そして、ある夕刻、もう一度吉祥寺へ出向いた。まだ伺っていなかった一軒の不動産屋さん。ダメもとで話始めた。向こうも最初はのり気ではない対応だったが、そのうちにある物件が提示された。私が考えていた予算よりは高め。近くだというので翌日「現場」を見せてもらうことに。2月中旬のよく晴れたお昼。小さなビルの7F。上がると眼下に井の頭公園が一望。少し気持ちが動いた。でも、どう考えても事務所ビルだ。厨房をつくることが出来るだろうか…。図面のコピーをいただき、可能性の余地を残して帰宅。
うーん、どうしよう…。
条件がパーフェクトではない……ここからは、さらに深い悩みに時間との戦いも加わった。
武蔵野保健所へも伺い。物件の図面も見せ、飲食許可の最低条件を指導いただく。
厨房づくり:二槽シンク、厨房内従業員手洗い、トイレとの距離、客席との区分、ウエスタンドア、戸付き食器棚、冷蔵庫と庫内温度計、従業員更衣室などが必須。当然知らない世界。ネットも駆使し、聞いたことのなかった業務用メーカー名が並ぶ。HOSHIZAKIだのITOMICだの、と。
3月1日。まだ揺れ動いていたが、気持ちはかなり傾いていた。でも内装造作にどのくらいかかるのか。紹介された工務店と折衝。現場での実採寸と見積もりへ。そんな具体的戦いも開始されていた。中古業務用厨房機器屋へも通い。
さらに私自身が「食品衛生責任者講習会」受講の申請もおこない。
不動産屋にはギリギリまで待ってもらった。
ゆっくり後戻り出来ないところへ…ネジがまかれていた。
途中、若い友人達の煽りもあった。
そしてついに3月22日大安。契約書を取り交わすことに!
同日中に内装業者とも契約。(前渡金の支払い)
さあ、ここからひと月半の大車輪。怒涛のうねりが押し寄せてきた。
ふーっっ!
細かな記載は避けるが…現在4月30日(この原稿の締め切り日)も、ドラマの多い内装工事が続いている。
多くの方が“今が一番楽しい時ですよね…”と声をかけてくれるが、正直まったく楽しくない。何故だろう。
年齢も関係あるのかも知れない。もう10歳若ければ…カウンターの材料にはじまり、すべてにこだわって進めることが出来たかもしれない。
何故か? それはたぶん、すでに撤退を考えているからだ。 もちろんやりますよ。 やり始めますけれど、やり始める時に撤退のことを同時に考えている。したがって、出来るだけ、作り込まないで、撤退しやすいように、というのも造作依頼のポイントだ。賃貸物件だけに、返却時は初期(スケルトンに)戻しが条件。
4月19日「食品衛生責任者」講習会。同時受講生が180人。6時間の講習。最後に簡単なテストだったが「満点」。晴れて「手帳」もいただき。青色の責任者表示板もGet。
4月23日 再々度保健所に伺い「営業許可申請書」を提出。
4月27日 保健所の地区担当官による現場検査。無事了承をいただく。
営業許可書発行は5月10日だが、明日からでも営業してよいことに!
しかし、内装の遅れから、とてもデリケートなオーディオ機器を運搬するところまでには至っていない。アナログLPだけは先行して2,000枚ほど運び込んだ。あと残1,000枚。CDも2,000枚残っている。いやあ、腰が痛い。
4月28日 は、開催が延びていた「スケルトン・パーティ」も挙行。懐かしい面々が集結してくれた。
最後は旧友に送付したメールで終えたい
前略
ご無沙汰致しております。
ここ数ヶ月、 熟慮の末 私も「場」を持って活動再開です。
Café機能のあるレクチャー・ハウス。研究所型カフェという新しい試みです。
スペースはミニマム、が故にインテメイト。
音楽(オーディオ)はかつてと違い、今やご自宅での方が良い音で聴いている時代。
大音響でJAZZが鳴り続けているJAZZ喫茶ではありません。(JAZZ喫茶に幻想はない)
名付けようがないので、「即興に注力した自由音楽」と言っていますが、クリエイティヴ・ミュージックの「半世紀の厚み」を伝承する「アーカイヴス」と「交流」の場です。
ただし回顧の場ではありません。 まさに「来るべき音楽」の場を想定しているのです。
コンセプト ワードは
<Other Voices, Other Silence>
他の声、 他の静謐
遠い声、 遠い黙聴
自腹で、一人でやります。
賃貸物件ですので、家賃が払えなくなった時点で撤退です。
家賃ぶんの収入を得るためCaféを併設(珈琲やワインが飲めます)。そのため、保健所の営業許可も取得し、私自身が食品衛生責任者として振舞います。
そしてあくまで、自分でシリが拭ける範囲の展開です。
4月初旬から開始した内装工事は今終盤を迎え、最後の追い込みに入ってます。
場所は吉祥寺駅南口5分「武蔵野市御殿山1‐2‐3 キヨノビル7F」
名称は「サウンド・イメージ研究所 Laboratory Café dzumi」
オープンは5月中旬を予定。 クレッシェンドで!
考えてみれば「持たざるものの悪あがき」。暴挙、暴走の類です。
ただ、これ以上年齢を重ね 気力も体力も落ちた後、 あの時やっておけば良かったな・・・との悔いは残したくない、というところでしょうか。
取り急ぎ、ご報告まで。
貴殿のアドヴァイスや忠告、叱咤激励、何なりと仰ってください。参考にさせていただきます。
近々 お会い出来るのを楽しみに!
お元気で! 変わらぬ、ご活躍お祈り致しております。
草々
‘07.Apr.30 H.IZUMI
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