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< ウィーンの空に立つタマネギ煙突 >今年、二十年ぶりに訪れたウィーンで、私は改めてフンデルトヴァッサーという芸術家の真価を知った。というよりも、フンデルトヴァッサーがとても好きになった。 このところ、京都国立近代美術館、日本橋三越本店と、回顧展が続くフンデルトヴァッサーは、日本でも人気上昇中と聞く。しかし正直なところ、彼の絵画作品に現れる、例の「ぐるぐるうずまき模様」や「じっと見つめる切れ長の目」などのモチーフは、これまで私にとっては、ちょっと苦手な部類であったのだ。自然と人間の共存を訴え、その思想を絵画や建築、そして彼自身の生き方の中で、ドラマチックに体現したフンデルトヴァッサーを尊敬こそすれ、あのやや偏執狂的とも言える色彩の饗宴は、私にはちょっと、味が濃厚すぎるのかもしれない。 二年間の留学を終えて帰国する長女の、アパートの片づけという言い訳で企画した久しぶりの家族旅行。ウィーンは、ハプスブルグ家の栄華と衰退の悲劇を、そのままに閉じこめた石細工のような街だ。また、モーツァルト生誕250年祭を終えたばかりでもあり、ベートーベンやシューベルトが活躍した音楽の都としての誇りに満ちた姿も変わらない。雨に濡れる石畳を見つめていると、ウィーンのようなヨーロッパの古都には、まるで時間の流れというものが存在しないような気もしてくる。街全体が重厚な石造りで、あちらこちらに、歴史的なモチーフの彫刻が施されている様子が、なにか、人間の一生の営みなど問題にしない、時間スケールの大きさを感じさせるのだろう。そういえば「人類の星の時間」という、とんでもない時間スケールの伝記本を残したシュテファン・ツバイクもウィーンの作家だった。
空港からのタクシーを降り、重いスーツケースを四階の長女の部屋まで、汗をかきかき、なんとか持ち上げた。(ウィーンの古いアパートにはエレベータなど無いことが多いようだ)ちょっと一服とキッチンに座って、東側の空を窓から見る。その時私の目に「彼の姿」が飛び込んできた。そう、その彼とは、フンデルトヴァッサー氏が改装した、例のウィーン市清掃工場の煙突君のことである。金色のタマネギが、空中で串刺しになって浮いているような姿は、率直な第一印象として「できそこない」という感じがした。 時差ぼけもあって、夜明け前から目覚めてしまう私にとって、東の空のこの煙突君は、すっかり心の友となってしまった。彼の勇姿をデジカメに納めようとトライしたものの、いかんせん遠すぎる。ついにはデジカメのレンズ前に双眼鏡をつけた望遠撮影も試みた。それにしても、伝統を重んじるウィーン市民が、よりによって清掃工場をこんなにもユニークで目立つ形にすることに同意したものだ。1990年、シュテファン寺院の前に、ハンス・ホライン設計の「ハース・ハウス」というモダン建築が出来たときは、ウィーン子達の大論争が沸き起こったそうだ。フンデルトヴァッサーが、この煙突君を設計したときの話は知らないのだが、どうやらハース・ハウスも清掃工場も、いまではすっかり市民権を得て、ウィーン市民に愛されているのだという。煙突君が他人とは思えなくなってしまった私は、この話を聞いてほっとした。
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< 櫟社の散木(れきしゃのさんぼく)になりたや>国立民族学博物館・名誉教授、日本の文化人類学の碩学、梅棹忠夫氏が日本経済新聞に連載した「私の履歴書」の中に「櫟社の散木になりたや」という項がある。「櫟社の散木」とは中国の古典「荘子・人間世篇(じんかんせいへん)」にでてくる「散木」つまり役にもたたない無用の木についての話である。以下に要約する。 大工の石(せき)が斉の国を旅した。途次たまたま曲轅(きょくえん)にさしかかったところ、そこには巨木な櫟(くぬぎ)が神木に祭られていた。その巨大なこと、木蔭に何千頭もの牛が憩うことができる。その幹の太さは百かかえはある。(中略)枝とはいえ、一本でじゅうぶん舟を作れるほど大きな枝が、何十となくひろがっている。 ところが石は、一瞥もくれずにすたすたと通り過ぎてしまったのである。 真っ直ぐに伸びた「使いやすい」木の枝や幹は、成長するとすぐに刈り取られて、何かに使われてしまう。だから、使いやすい真っ直ぐな木はどの木も、天寿を全うすることなく、すべて中途で倒される。曲がりくねって、使い物にならない無用の「散木」だからこそ、伸び伸びと枝を茂らせて、立派な巨木にまで成長することができる。 梅棹忠夫氏はこの話がすきで「櫟社の散木になりたや」を人生のモットーとしてこられたという。文化人類学の大家・梅棹氏の、これまでの大変な業績を思えば謙遜に聞こえるが、以下の言葉こそ、氏の巨大な人生を支えてきた深い知恵だったのであろう。 「荘子」にあることばなど、古典に埋もれたファンタジーにすぎないと考える方も多いかもしれない。しかし「老子」もそうだし、もちろん「論語」の中にもどっこい現代にも通用する鋭い警句が溢れている。まっすぐに伸びる「役にたつ木」が、さっさと切り取られてしまうという話は、まるで現代の企業社会で使い捨てにされる人間の悲哀を、そのままに映し出しているようだ。私などふり返って見れば「櫟社の散木になりたや」どころか「早く役にたつ木になりたい」と人と競い合い、だいぶ自分の人生をすり減らしてきたのではないだろうか。自分の知らないうちに、枝も幹もだいぶ切られてしまった気もする。 < 巨木を残したフンデルトヴァッサー >
フンデルトヴァッサーの建築はまさに見事な「櫟社の散木」だ。だから「役にたつ木」を求める人には、その価値が分からなくても当然なのだろう。「無用の用」とはあまりにも深い思想である。ウィーンの東の空に、ただひとり立ちつくすフンデルトヴァッサーの煙突。その姿は、これからも地球という舞台で、宇宙大自然の一部として生きていく私たち人類への、深遠なる無言のメッセージなのだ。フンデルトヴァッサーは、2000年2月19日、晩年を過ごしたニュージーランドへ向かう船の上で亡くなった。しかし、彼の生き方、彼の思想は、ウィーンの空の偉大なシルエットの一部となって、今も私たちに終わらない話の続きを語りかけている。 (注:本来の発音からは「フンダートヴァッサー」と表記すべきところですが、本稿ではインターネット検索などの便宜や、これまでの慣例により、フンデルトヴァッサーとしました。) |
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フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサーフリードリヒ・シュトヴァッサー(Friedrich Stowasser)、より一般的にはフリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー(Friedensreich
Hundertwasser. 1928年12月15日 - 2000年2月19日)はオーストリアの芸術家、画家、建築家。日本では「フンデルトヴァッサー」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。 |
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著者プロフィール: 佐々木 和郎(ささき かずお)
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