私は、生け花のことをほとんど知らない。
自分で生けたこともないし、そういう習慣もない。
一度だけ、自分の企画した展覧会の会場構成上の必要から、イサム・ノグチの、一部が花生になっている大理石の彫刻と、北大路魯山人の備前の筒形花入に、柳を生けたことがある。
それでわかったのは、しごくあたり前のことで、生け花もまた、空間なのだということだった。
そのときの経験は長く心のなかに残って、いろいろな想像に自分を誘った。
ひとつは、生け花はやはり自然そのものではなくて、きめてモダンで人工的な、自然を別のかたちで再構築するような、一種の抽象概念を視覚化したものだと思ったこと。
その意味では、立花という形式の成立したのが、たしかどこかで禅の庭と同じ室町だと聞いたが、そのこともまた興味をそそる。
自然からある部分を恣意的に切りとって、ある場所に、持ってくる。
そのとき、それはもう自然そのものではなく、すでに自然への解釈になっている。
というよりも、自然という概念じたい、本当のところ、そんなものはもとからありえないのだ、という囁きが聞こえてきそうである。
庭がひとつの神秘的な世界模型であるなら、生け花もまさしくそうした、思考の形式なのだという思いが、ますます強くなってきた。
類まれな生け花作家である中川幸夫との出会いが、こうした思いを確信に近いものにした。
多くの人が、中川幸夫の生け花を、自然の獰猛な息吹きを招魂するような、前衛的で神秘的、そして原始的で未来的な、祭司的行為だと感じている。
たしかに中川さんには、そうした未見の精霊を感じさせる、祭司のような雰囲気がある。またじっさいに彼の造形は、言葉で形容すれば、異形で、獰猛で、狂暴なエロティシズムがあり、ショッキングだ。
ただ私たちがそう言うとき、そうした眼で中川幸夫の生け花を見るとき、自然から切りとられた、世界模型としての生け花という考えを忘れてはいないだろうか。
時間を生けているという見方もあったように記憶するが、まあそれも、見解だろう。
中川さんは、花は生き物である、ということを繰り返し強調する。
もぎ取られようが、枯れようが、圧縮されて花液を絞り出されようが、それぞれの状態と段階で、生きている生命だと主張する。その生命を、自然という、この私たちじしんの曖昧な解釈から、遠くへ遠くへと、持って去ろうとする。
自然の外へ。もうひとつの自然の、そのなかへと。
また、中川幸夫は、芸術家として徹頭徹尾モダニストであるということだ。
それは伝統的な、因襲的な家元制度の外に身を置いたということでは、むしろない。
作家として純粋に、はじめてのもの、未見の抽象を求めたという点でである。
花は生命であり、官能的でエロティックな生殖器であればあるほど、それに手を加えることは、フェティシズムに近づいていく。
ところが、フェティシズムもまた、自然という曖昧な私たちの世界模型の、一部品にしかすぎないのではないか。フェティシズムという生命の花を、今度はまた狂暴に駆使しながら、純粋な、もうけっして曖昧ではない、自然のモデルを新たに組みあげていく。
そう考えてみると、原初の祭司のような中川幸夫の姿が、試験管のなかで、フェティシズムを皮肉っぽく視覚化させながら、美術の歴史ぜんたいをひっくり返そうとしたマルセル・デュシャンや、感覚的なものを純粋に練磨しながら、未知の、この世のものでないフェティシズム模型を組み上げていった、あのモンドリアンの姿にダブリ始めるのだ。
もっというと中川さんにとって、花は世界を切りとる枠組、あるいは境界、あるいは皮膜のようなものではなかっただろうか。
単純には言いきれないが、私は中川幸夫の生け花に、獰猛なものやショッキングなもの、錐を目の先に突きつけられたような痛み、そんな攻撃性はあまり感じない。
むしろ自然という概念のもっとも例外的なかたちに、ある種のそれこそ定量的な光をあてようとする、思索的な科学者の姿を垣間見るのである。
中川さんとは、たまにほんの短い時間おしゃべりをさせてもらう間柄だが、ずいぶん楽しい、知的な感興をいくつも与えてもらった。
中川さんは、私が花では藤がいちばん好きだというと、藤の木の幹がなんであんなに、蛇が這い回るようにうねるのかを話してくださり、幸田文がおもしろいエッセイでそのことにちゃんと注目していることを教えてくれた。また、木蓮が好きだと言うと、黄木蓮の作品の写真を送ってくださった。
アンゼルム・キーファーの、巨大な油絵に向日葵を数本、枯れた花ごと根ごと貼りつけた作品を二人で見たときには、なかなかあなどれない個性だと感嘆しておられた。
私はいつか、ドイツの植物写真の開拓者で、植物をミクロに、一種の建築的構造物のように撮ったカール・ブロスフェルトの作品集をお見せしたいと思っている。
あるいはすでに知っておられるかもしれないが、またぜひ、中川さんの意見を拝聴したいと心から願っている。
私のような浅薄な輩に、あの偉大な創作家がなぜ親しくしてくださったのかは訝しい気もするし、中川さんについて、もっと書きたい思い出はいくつもあるのだが、それはまたの機会にゆずりたい。
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