二つの死 複数の死
昨年末、クリスマスの翌朝 衝撃のメールが知人から飛び込んできた。
あの孤高のインプロヴァイザー、デレク・ベイリーが亡くなったというのだ。
慌てて何人かの友人に連絡。
予測なき突然の情報。ほんとうだろうか…。じきに海外からも配信されてきた。
逝去は本当だったのだ。
そして深い哀しみが襲ってくる。
私をして「音楽」からの逃走/闘争を許さなかったミュージシャン。60年代末、誤解を恐れずに簡潔すると、西洋音楽史の極(またそれは東洋でもあるのだが)まで行き着いたジョン・ケージと、かたやアフリカをルーツとする黒い極限としてのジョン・コルトレーン。
そんな両翼を描けるシーンのなかで登場し、音楽の不可能性までを体現し演奏しつづけたギタリスト、デレク・ベイリー。1930年生まれだったから享年76歳。
日本に初めて紹介されたのはたぶん1969年 イギリスから送られてきた「karyobin」(68年2月録音island)というレコードが最初だったと思う。パーカッションのジョン・スティーブンスがリーダー格のThe
Spontaneous Music Ensemble。今でも69年の夏、新宿のDIGで聴いた衝撃は忘れられない。 (当時マイルスに呼ばれたベースのデイヴ・ホランドが参加していたのも興味深かった)
デレク・ベイリー
1930年1月29日、イギリスのヨークシャー州シェフィールドに生まれる。ギターは独学、55年頃からダンス・ホール、劇場、放送局、録音スタジオなどでプロのコマーシャル・ギタリストとして従事。66年ロンドンへ、何を思ったかそれまで培われた(西洋)音楽のイディオムで演奏することをやめる。後に語られるノンイデオマチック・インプロヴィゼーションの開始だ。
以降 同じ頃アメリカ、ヨーロッパに登場していたフリー・スタイルの即興演奏家たちと交流しつつ、未知/未聴の領域を切り拓いた。
それからはや40年、亡くなるまで自らのスタイルを変えることはなかった。
来日は四度(初来日が73年4月at西武劇場)。
録音されたLP、CDも多く、世界に200タイトル以上はあるのではないか。
20世紀後半、どれだけ多くのミュージシャンに影響を与えたことか。
そして、すでに多くの人が語り…。
今、是非検索エンジンGoogleかYahoo!で叩いてほしいDerek Baileyと、あるいは日本語でデレク・ベイリーと。ありとあらゆる発言が飛び交っているのがわかる。
デレク・ベイリー…といってもなじみのない方にどう説明すればいいのだろう。
結局 聴いてみるしかないのだが…デレクの影響下で育った現代日本の代表的なミュージシャン 大友良英氏が公開しているサイトで、少しまとまった発言をしているところを紹介しておきます。
大友良英のJAMJAM日記 別冊 連載「聴く」11回(あと17回、18回あたりも)
http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/diary/diary-kiku11.html
追悼コメントの代表例として横井一江さんが書かれたJazz Tokyo サイト。
http://www.jazztokyo.com/derek-bailey/yokoi1.html
あるいはデレク自身の書籍『インプロヴィゼーション~即興の彼方へ』(翻訳版 工作舎1981年刊 最近再刊されたはず)も勿論参考になる。
http://www.kousakusha.co.jp/DTL/impro.html
さらにトニー・オックスレイ等と1970年創設したレーベルIncus Recordsの公式ホームページ。
http://www.incusrecords.force9.co.uk/
それにしてもレーベル名を「Incus=キヌタ骨」にするとは! このA/C Magazine「来るべき音楽」Vol.1でも予告的にさらりと登場させておいたことを覚えておられるだろうか。「耳」にたいしてベイリーは解剖学的な傾注があり「聴く、聴こえる」ということに自覚的であったろう。
そしてラストアルバムとなった「カーパル(手根骨)トンネル」(2005年バルセロナ録音)を聴いてほしい。[Carpal Tunnel]TZADIC
TZ7612(あのジョン・ゾーンがプロデュースするレーベルだ)
http://www.tzadik.com/
TZADIKのホームページのKey Seriesをクリックして右上のDerek Baileyを。
昨夏に購入していたそのアルバム、亡くなる前友人と電話で今年の収穫の話になり“聴いた? 何か もう別格だね…”と会話していたのを思い出す。
いずれにせよ、私たちは「来るべき音楽」の羅針盤となる ひとりのミュージシャンを失った。
わかった、で おまえはどうなんだ?と言われそうだが。
一言でいうと、聴く(生きる)ことは出来るが、語ることは禁じられているのだ、と。
最近の郡司ペギオ-幸夫氏発言からサポートを得ると“「質料性」とか「肉」が重要”ということになろうか。さらに氏の発言の最後では“…説明から質料へとか、物語からキャラクターへという態度変更によって説明できる、というだけでは済まないものまで引き受けなくてはならないと思うのです”と。(講談社『RATIO』01号<物語をやめよ!=「生きる」ことの哲学を構想する>小泉義之氏との対談参照)
このA/C Magazineでメモを書き始めたきっかけは「聴く」「聴こえる」ということが、脳を含めた身体サイド(「肉」=判っているようまったく判っていない)を洗い直したいという欲求と、ジャンル分けされ階層化されて消費されている「音楽的感性」、いつの間にか刷り込まれた「音楽美」(このハーモニーが美しいだろう…というような…いわば「近代」ですかね)を解毒したい、というたくらみがあってのこと。
しかし、今回はまったくその役割を果たせずに終わる。
それは、個人的なもうひとつの死。
今は、いいようのない脱力感だけが身体を充填している。
年明けて数日
真夜中 不意の電話
北海道で一人暮らしだった母が危篤
眠れないまま羽田へ、北へ向かう機上の人となる。
見えていた地上が数分後には、雪で覆われた白い世界へ。
軽い眩暈のような…フライトはいつもそうだ。
駆けつけた病院 母の意識はすでになく。
二日後に逝去、お通夜、葬儀。
悲しんでなどいられない激動の日々…。
線香と蝋燭、はるかインドをルーツにするお経の響き。
どこであの不思議なメロディーとリズムが生成されていったのだろうか。
喉の深いところを震わせる声。
祈り
郊外に新設されたモダンな火葬場。
葬送
母が焼かれているあいだ、しきりに降る粉雪が、時折射し込む陽光でキラキラと、舞い降りるかと思えば舞い上がる、まったきランダムネス。
遠くに何十年ぶりかの親戚が歓談しているのが見える。
天井までの大きなガラスの向こうはどこまでも白い世界だ。
しかし
そこで
私にはバッハもモーツアルトも、ましてやコルトレーンも聴こえてはこなかった。
(’06.Feb.28. H.IZUMI)
著者プロフィール:
泉 秀樹(いずみ ひでき)
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