自然崇拝者だった北大路魯山人の、典雅で瓏たけた器からは、いつも孤独な叫びがきこえてくる。
それは赤裸々で、時に人間のおぞましさ、さもしささえ感じさせるのだが、器のおもてでは、すべての感情は、美しいものに昇華されている。
けれど私のなかのさもしさが、魯山人の持っているそれに触れて、もがき、憤り、のたうちまわって、叫びをあげる。
そしてやがては癒されて、切ない淋しさにひたされ、泣きだすのを感じる。さいごに残るのは、何かいままで知らなかった類の、ほのかな暖かさだ。
モダニズムもアヴァンギャルドも、へったくれもない。生で裸の人間の世界があり、とりつくろった芸術の言い訳など許されない、生きることの真摯さがそこにはある。
たしかに魯山人は、モダンだ。作陶のほとんどを古陶磁の写しに終始したことも、前衛の創造性など鼻にもかけない、逆説的なモダニティーともいえる。
自ら手でつくることよりも、よいものを見て触って、美の実体を知り、座辺において味わうことを楽しんだ。
陶芸の技術の伝統から自由な、ディレッタントな着眼も、魯山人の意識のなかにあった。轆轤(ろくろ)を選りすぐりの陶工たちに回させ、自分は絵付けや、最後の仕上げをしたりするこだわりのなさや、日常の生活空間ぜんたいを、趣味の広がりと統一の場ととらえたのも、侘び茶の伝統があるとはいえ、魯山人ならではの、伝統の再創造になっている。
しかしそれでもなお、魯山人の本当の秘密は、そんなところにはない、と思う。
かたちは、心のあり方いがいのものではない。
さもしさと暖かさ、傲慢と小心、そして野放図と繊細。これらはじつは相反する性癖でなく、磨かれた真の個性のなかでは、稀有なかたちで共存するものだということが、魯山人をみるとわかってくる。
またそれこそ、魯山人がこよなく愛し、友とした、そしてすべての芸術的インスピレーションの源泉であった、自然そのもののあり方ではなかっただろうか。
自然には、すべてがある。
すべての状態なり、あり方がある。闇も明るさも、律儀さも放縦も、苛烈も慰藉*も、私たちが求めるあらゆるものが、自在に変化しながら、偏在する。一定ではなく、また一定でもあり、一つであり、そしてすべてであるもの。
魯山人は、睨んで睨んで、穴のあくまで睨み倒して、それからいっきに描く、と言ったそうだ。こうした身体じゅうで見る姿勢こそ、心底、羨ましい。私たちは、普通あるていど訓練すれば、細部と全体を交互にとらえ、視覚の網をひろげたり、縮めたり、また精密にしたり、また戻っては全体の雰囲気をつかんだりすることは、できるようになる。
けれどどうしても、身体ぜんたいでものを見るという、この至上の方法と体験は、選ばれた天賦の才にしか許されていないのだ、と残念ながらいわざるをえない。
また魯山人は、当意即妙ということをいって、芸術には計画や目論見などということはありえないと一蹴する。
私たちの言葉でいうならば、これは嘘である。多くの場合、作品というものはほとんどにおいて、じっさいは作者の目論見とはまったく逆に駄作であったり、また偶然の傑作であったりしたものばかりだ。とりわけ陶芸には、そういう性質が強い。
ところが魯山人の作陶は、あらかじめあまりに明快すぎるほどに明快に、彼の頭のなかではあたかも数式のように、はっきりしたイメージとして出来あがっているように思われる。
だから何を足すか引くかというプロセスと手順もまた、きわめて正確無比で単純なものとなる。針の穴は小さくて遠いけれど、見たとたん、目がもう穴のなかに棲みついている。
そういう奇跡的な視覚を、彼が自家薬籠中**のものにしていたということではないだろうか。
数年前、梅雨明け近い京都で、畏敬する梶川芳友さんの魯山人コレクションの全貌を、初めて紹介する展観を見て、圧倒的な感銘を受けた。
場所はむろん、京都の祇園で、長くご自身がやってこられた美術館、何必館京都現代美術館である。
質の高さもさることながら、展示構成がまた凝りにこったもので、今まで見てみたいと思ってお目にかかったことのないやり方が、すべてお披露目されていたのが、二重の驚きだった。
大海原のような文字壷や雄渾な平鉢の林立する、荘厳な空間。
李朝の箪笥に飾られた愛らしい小品群。
出会いと、見立ての、生活空間の美の妙。
さらに食器を中心にして、魯山人の力技である、織部と備前のヴァリエーションを一堂に見せるやり方も、圧巻だった。これだけのものを身銭を切って蒐集し、それこそ「使いたおしてきた」人にしかできない、見事というほかない展観だった。
また美術館の空間の肌合いが、それぞれに微妙なアクセントをつけ、さいごは天陽の爽やかにあたる、坪庭を眺めながら味わう茶室の設えとなっていて、絢爛たるものだ。
個人的な好みでしかないが、私は周囲を圧する雄渾な大作の魯山人よりも、小ぶりで佳品たる、繊細無比な、どちらかというと、女性的な魯山人のほうが好きだ。
小さいけれどしっかりと鑿跡の残る、可憐な染付けの魚の箸置や、ぽっちゃりとして変哲のない萩徳利や馬上盃に、魯山人の静謐で、優しい心根をみる。
最晩年洋行した後の、前衛的な、プレ・コロンビアや古代ペルシャの器形を取りいれた作品群も珍しい。絵の達人魯山人らしくはないが、とぼけてもいて、愛嬌があって、すぐれて彫刻的だ。どうだこれでもかという顔をしていない、青年のようなもうひとりの恥かし気な魯山人の顔が、映っている。
魯山人の器は、身体じゅうで感じた、自然まるごとの風景だ。あらゆる食器が、器形から、細部のちょっとしたへこみや反りにいたるまで、掌で暖められ、唇をあててたしかめられた、ぬくもりに充ちている。
かつて、ふと手にした織部の瓜形花入の、つるんとした底を両手で抱えたとき、小さなお尻のぴったりと吸いつくような感触に、驚いた。ずっと昔、毎夜風呂に入れていた娘のお尻が、そのとき掌に甦ってきたからだ。
梶川さんも、こう書いておられる。
「いくつもの断片となった記憶の憧憬というものが誰にも在ると想うが、その姿が、魯山人の器と料理の中に現れるのである。それはゆるゆるとした春霞のようであり、夏の陽の光景であったり、時として渺渺とした廣野であったりする。」
唐突だが、こんな魯山人の秘術は、彼のさもしさのなかにこそあると、言いたいのだ。
さもしさとはひとえに、渇望である。
魯山人が生き別れした母を生涯慕いつづけ、また屈折した思いを抱きつづけたことはよく知られている。
そして彼の陶芸のベースには、むろんのこと料理がある。料理を盛りつけての食器、というのが魯山人にとって終生変わらぬ信条だった。
英語にも、子供にどんどん料理をつくっては食べさせる母親という意味で、フィーディング・マザーという言葉があるように、古今東西、料理は母の領域だった。そう考えて、食生活全般の美化、環境としての芸術、食という振舞いの芸術、といった、魯山人の非凡さのすべては、ひたすらな母なるものへの果たせなかった思慕いがいのものでなかったことがわかる。
だから魯山人はじっさいには自然さえも、それを母のかわりに愛し尽くしたのだ。
自然を母のように、いや、母そのものとして愛した男。
その渇望の、さもしさ、孤独な魂。
私は魯山人の器に、果てのない慈しみの深さを見て、それいがいの表層的なあらゆる批評を、けっして肯じることができないでいる。
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