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芸術家であったら誰しも、仙人のような風貌で俗世間から離れ、草木が生い茂る庭に腰掛け、創造の道標に植物や生き物を観察している熊谷守一のその姿に強い憧れを抱くだろう。 自宅のその庭は、東京の池袋にほど近い千早町にあった。映像によっても画家の姿とともに良く知られたその空間はあたかも奥深い森のなかを想像させるが、実は50坪ほどの広さであった。もっともどんなに小さな虫けらさえも尽きぬ創造の世界の住人へと導いていった画家にとって、その庭はけっして凡人の尺度で測れるような意味では狭いものではなかったのであろうが。熊谷守一(1880-1977)はそこで45年間過ごし、1977年に97才で亡くなった。 その後85年に次女の画家である熊谷榧(かや)さんがその地に「熊谷守一美術館」を作り上げる。氏は設立当初のインタビューに答えて「区が自宅と庭をそのまま保存して、別のところに美術館を建てるという計画をしたが、画家の蝋人形でも置かれるようなことになったらいやなので、自宅を取り壊し、美術館にすることにした」といったようなことを語っていた。凡庸に考えると親しんだ懐かしい場所をそのまま遺して置きたいと思うのであろうが、同じ芸術の道に進んだ娘だからこそ、画家が去ることで形骸化された場をあえて遺すのではなく、「創造の精神」といったような無形ではあるが画家の核となるものを遺すことを潔く選択したのであろうし、それは間違いなく画家の思いにそったものであったのであろう。 この美術館で今年の5月から6月にかけて開館20周年展が開催されていた。閑静な住宅地に溶け込んでいる美術館はコンクリート打ちっぱなしのモダンな建物であり、9匹の蟻が動き回っている《赤蟻》(1971)と「クマガイモリガズ」といったあのたどたどしいがゆえに味わいのあるサインが建物の正面に転写されているところだけが唯一目をひく。記念展ということで、通常より展示スペースを広げ、娘を亡くした時の光景を描いた《ヤキバノカエリ》(1947)といった代表作などが公立美術館から貸し出されていた。けっして横にも縦にも十分な空間ではないが、来館者の様子を観るとひとつのコミュニティが形成されていて、自宅の居間に招かれているような独特の親密さがそこにはある。 |
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![]() 雪の科学館中庭 |
一方「雪は天から送られた手紙である。」という想像力を喚起するような詩的な言葉を遺したのは、中谷宇吉郎(1900-1962)である。世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出したこの物理学者は、その業績によって世界的に名高いが、絵を描き、また「科学随筆」や影響を受けた寺田寅彦の思い出など多くの随筆を遺したことでも知られている。 今年の春を迎える少し前に、小松空港から車で15分足らずの出身地である加賀市にある「中谷宇吉郎 雪の科学館」を訪れる機会を得た。磯崎新によるその建物は、白山と柴山潟へ向かって細長く延びていて、そのなかには外壁が木造の雪をイメージしたという3つの六角塔が配置されている。また中庭は、宇吉郎が最後の研究をしたグリーンランドから運ばれた60トンもの石が敷き詰められていて、そこからは中谷芙二子さんの〈霧の彫刻〉が立ち上がっている。温度、湿度、風速、風向きによって常にとどまることなく、かたちや表情を自在に変える人工霧でできたその彫刻は、周囲の風景とダイナミックに交叉していて、この館全体を「生きた空間とする」役割を担っている。 展示スペースには、「雪の結晶」や「氷の結晶」についての研究成果とその発展について、氏が科学を随筆などによってわかりやすく説明していたというその方法論が引き継がれ、実験コーナーを設けるなど子供でも容易に入ってゆけるような工夫がなされている。しかしそれだけではなく、自然や芸術といったものに対する宇吉郎の視点が示されていることで、単なる科学館ではなく、中谷宇吉郎というひとりの魅力的な人物の全体像を捉えることができる館となっている。 ここもまたアーティストである娘、中谷芙二子さんの、中谷宇吉郎の全貌についての独自の深い理解が反映されていることは熊谷守一美術館と共通している点であるといえる。どちらも個人の作品や資料を収めるために、最も近しい人による愛情ある的確な理解と位置づけ、熱意に基づいて作られた幸福な館の希有な例といってもいいかもしれない。「住人」不在のホワイト・キューヴが乱立するなかで、「主人公」の紡いだ物語が浮き彫りとなる館である。 |
(東京都・豊島区) |
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| 中谷宇吉郎 雪の科学館 | (石川県・加賀市) |
著者プロフィール : 中村 麗 |
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