音楽を聴いて「ざわっ・・・」となったことありますか?
身体の内部に電流が流れるというか・・・ウチ震えるというか、私の場合は左上肢の内側から下へ、あるいは右上腕から中心へ・・・が多いんですが。
戦慄が走るとか、鳥肌が立つとか表現する人もいるので、多くの人がそういう体験をしているのでしょう。
その「ざわっ・・・」も厳密には三種類くらいありそうです。
これは既知のメロディ+ハーモニーに涙腺が熱くなるというのとは違います。こういう旋律に弱いのよねウルウル、というのはあるでしょう。記憶と感情が加わって・・・。しかし、その目頭が熱くなるウルウルと、「ざわっ・・・」は違います。
「ざわっ・・・」て 何ですかね。
スピードが速いので思考ではなくある種の反射(Reflex)ですか? いずれにせよとても身体的な反応です。こういうことを言うと、それでもやっぱりそれは「脳」でしょうという人もいるかも知れません。いや実際「脳」なのでしょう。
「音楽」についてメモを書くことになって、冒頭からオン楽しくない話になってしまうかもしれませんが・・・だいたい「感動した」っていうことも本当は良くわからないですよね。興奮したとか、うきうきしたとか、荘厳な気持ちになったというならまだわかるが「感動した」とは?(ココロがおどる、ですか? タマシヒがゆさぶられる、ですか?)
まあ、いろいろな感動があるから音楽を含めたくさんの芸術が生まれ育ったのでしょう。
では「ざわっ・・・」=「感動」かというと、冷静で理性的な感動もあるわけですから一概にそうともいえません。
もう少し言うと、他者や共同体との関係でしか「感動といえるもの」は在りえないのかも知れません。
最初から何を言いたいかというと、その基底のひとつである「音~身体」に関しては、なんだかまったくわかっていないのではないか、ということです。音・音楽について書きだす前に、これはどうしても気になるところなのです。
つまり耳が聴覚機能の特権を与えられ・・・(取り急ぎ確認しておくと)外耳道から入った音波は鼓膜を振動させ、ツチ骨、キヌタ骨(Incus=デレク・ベイリー!)、アブミ骨を動かし蝸牛へ、ここで波動は蝸牛内リンパ液のゆれに引き継がれコルチ管内部の有毛細胞をそよがし、その震えが直接「シリア」とよばれる有毛の小窓を開閉させ、そこを通るイオンの流れ(デップ・リンク)が細胞を興奮させる。有毛細胞には神経細胞がシナプス様結合されており、さらに数個の神経細胞を経由して大脳側頭葉に達する。(これらに関して興味のある方は下記関連サイトを見て下さい)そこからすべての情報処理が始まる。音楽はそこから生まれるようだ。その快楽の秘密までの途はまだまだ遠い。
さらに最近になって、大脳に届く経路があるだけでなく、大脳皮質から耳へ向かう経路があることもわかってきた。脳から戻る復路があるとは! 耳は受信しているだけではなく発信もしているのか? あるいは一種のフィードバック効果、いやRe-mix効果のような機能もあるのか?
また音・音楽の莫大な記憶のアーカイヴスはどこにおさまるのか。新たに受信する波動が記憶のアーカイヴスと瞬時の交感で何か琴線に触れるものだけに「ざわっ・・・」が発生するのか。
<聴覚や音響に関してはすでにサイト上でもある程度のことを知ることが出来ます>
http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textlife/sense.htm
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/satomi/uchisoto.html(内からの音)
http://www.nikkei-bookdirect.com/science/beyond-discovery/ear/01.html
http://www.asj.gr.jp/qanda/answer/29.html(日本音響学会)
http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/audisense/
しかし、この程度の科学では冒頭の「ざわっ・・・」はよくわからない。そして視覚体験より聴覚体験のほうがこの「ざわっ・・・」という感じは起きやすいのも事実だ。(そういえば以前ジェームス・タレル展である空間に入ったとき「さわっ・・・」ときたな。音のザワッではなかったが・・・)
東洋的には経絡(けいらく=原形質流動)が疼いたというのでしょうか?
白川静先生の「字統」を紐解くと「音」や「聞く・聴く」という漢字はもともと神の!響きを受け取るところからきているようだ。「音づれ」などは神の到来だろう。
謎の多い「音~身体」は、さらに深く知る(感じる)必要がありそうだ。
昨年末インドネシア沖で発生した地震による津波で、留意しておきたいニュースがあった。それは被災したある地域では動物たちが津波を察知して山側へ逃げたというものだ。あの巨体の象を含めて一目散で逃げたという話は注目しておいていい。虫の知らせとか、動物の第六感などとも言えるが、これは明らかにある種の「音」だと思う。なぜある地域のなのか、他の地域ではどうだったのか、など疑問も多いが、ヒトにはもはや感じられない何らかの「波動」を明らかに受け取ったのだと思う。
さらに加えると、これはもう実証されていることですが、植物も音(波動)を感受しているという話は有名ですね。
こう考えると「音~ざわっ・・・」は何やら「生命=いのち」に関係がありそうだ。
ヒトの聴覚は空気振動20Hzから20,000Hzまでが可聴範囲であり…云々と。
ちょっと待ってほしい、それは誰が決めたのか?
近・現代の科学がどこかで感覚の枠を決めすぎてはいないか?
どうもそこにオプチミスティックな合理主義・実用主義が見え隠れする。
それ以上高い音波は聴こえないのだから、と決めてしまった現行録音メディアの「CD」が世界を席巻して既に20年も経ってしまった。そのフォーマットである帯域20~20,000Hzや秒間44,100サンプルは「音楽」を捉えるには明らかに退行したメディアだった。アタマ出しなど便利で「らしいもの」ではあるが、何かが抜けている。肝心なものが入っていない。「感動」を記録したり伝えたりするメディアのはずが・・・この範囲で感動しろ、と。
最近になって可聴外の超音波が可聴帯域に決定的な影響を与えていることが判ってきたり、明らかに可聴外の波動を鼓膜ではないところで感受していることもわかってきた。その一つが骨伝導で、これまた即ビジネスに結びつけ商品開発も行われている。しかし本来、身体には他の音ではないものと絡んでやってきているはずで、「耳~脳+骨?」は最重要だが他の器官も総動員して感受しているのではないか。 「音楽」を、まさか耳だけで聴いてはいないでしょうね。
音・音楽については多くの書籍が出版され、雑誌にいたっては毎月大量にジャンル別の音楽情報誌が発売されています。さらにFree Paperやカタログ、ネット上の情報・日記などを含めると途方もない数の発言が飛び交っています。好みが分断・寸断され、何が音楽の課題かさえわからなくなっています。
そのなかで、最近発行された雑誌から音楽の現状を捉えやすい一般文化誌?二誌と専門誌一誌を紹介しておきます。
ユリイカ3月号 特集「ポスト・ノイズ―越境するサウンド」(青土社)
http://www.seidosha.co.jp/eureka/200503/
スタジオヴォイス5月号 特集「ポスト・ジャズのサウンド・テクスチュア」(インファス・パブリケーションズ)
http://www.infaspub.co.jp/studio-voice/sv-backissue/contents/2005/sv-contents0505.html
偶然だろうが上記2冊の特集テーマに「ポスト~」と付いているのが面白い。大きな「次」を求める気持ちがそうさせているのか。
サウンド&レコーディング・マガジン5月号 特集2「音の科学」(リットー・ミュージック)
http://www.rittor-music.co.jp/hp/sr/
少しマニアックだが、音とは何か具体的にサイン波も録音されているCD+CD-ROMも付いて、今の音楽制作の現場が垣間見られる。
さて、週末はようやく届いたルイ・スクラヴィスとジャン=マルク・モントゥラの新作「ROMAN」を聴くことにしよう。
http://www.fmp-online.de/eframeset.htm
日本はこれだけ招聘ラッシュなのになぜ「ナポリの壁」を呼べないのか・・・。
(5/12 H.IZUMI)
音について語るとき、そこにはことばがある。
ところで、ことばは音だろうか。
音について書くとき、そこには文字がある。
文字は音だろうか。
音ということばがある。
音という文字がある。
誰かが「音」と言ったとき、
音が聞こえただろうか。
それはどんな音だったか、言ってください。
・・・高橋悠治「音」(講談社「事典哲学の木」2002)
著者プロフィール:
泉 秀樹(いずみ ひでき)