HOMELINENUPSTUDIOCLOSEUPA/C MagazineFavorite MuseumsLINK購入のご案内

昨年の11月、「平成の大遷座祭斎行記念-奥書院特別公開-金比羅宮のすべて」という催しに合わせて、初めて香川県琴平にある金比羅宮を訪ねたが、その旅にはもうひとつ別の目的もあった。それは直島に新しくできた地中美術館に足をのばすことであった。物理的に一泊二日でまわるのに都合がいい、ということでだけで選んだこのふたつの場所を結びつけた体験は、神を祀る空間と美術品の墓場とも揶揄される空間の在り方について期せずして対比する好機となった。


通称コンピラさんには、両側を土産物屋で囲まれた長い長い石段をのぼることによって辿り着くことができるが、そこには本殿だけではなく、今回1879年の琴平山博覧会以来、125年ぶりに一般公開された、伊藤若沖の障壁画のある「奥書院」や「高橋由一館」がある。なぜここに高橋由一の作品がこれほどまとまって所蔵されているのだろうか、と誰しも思うだろうが、由一が琴平博覧会に出品したことが縁で作品を奉納し、その後金比羅宮が由一の資金援助をしたことで、26点もの作品がこの地に遺ったということである。《左官》に描かれた壁の相合い傘のいたずら描き、豆腐と焼豆腐、油揚げという豆腐の三変化(さんへんげ)を描いた《豆腐》、あるいは白壁にあたる月光が現実としてはありえないように思われる《屋上月》、そういった一連の作品は、由一の卓越した観察眼と実験的精神をあらわしているが、同時にちょっとひとを食ったユーモラスなところがなんとも気取りなく、観光の地に訪れてたまたま目にした人々をも惹きつけるにたりる要素を備えている。

そういった美術作品の展示館とともに、田舎の観光地にあるような「宝物館」には忠犬ハチ公の写真や人面魚のはく製などキッチュなものがところ狭しと詰め込まれているのには思わず笑ってしまう。件の「奥書院」にしても、若沖が金箔に描いた無数の種類の草花の鮮やかさや華やかさは時を経ても目を見張るばかりではあるが、ゾロゾロと列をなしていると作品を鑑賞しているのではなく、お上りさんさながらにわくわくしながら「見物」している自らに気がつくことになる。そこは美術館が持つような観るひとを観る対象から隔離しているような空間ではなく、そこにはどんなひとでも受け入れるような大らかで大衆的、土着的空気が漂っている。神社仏閣は神を奉る近寄り難い神聖な場所であるように思われるが、コンピラさんという愛称に象徴されているように、聖俗いろいろとり混ぜて、詰め込んだ場所である。そういった奇妙な共存は、至るところで見い出される。それは鈴木了二が手がけた、神殿建築の要素も引用しながら、鉄板とガラスを組み合わせたシャープな形態を有する現代建築が、祈祷所として違和なく佇んでいることにも示されている。


金比羅詣での翌日、フェリーに乗って瀬戸内海に浮かぶ直島の南側に位置する地中美術館へ向かった。美術館に足を踏み入れる前から儀式が始まる。チケット売り場の棟が美術館から少し離れた手前にあり、そこに観客は手荷物を置き、係りの人から「美術館も作品の一部である」という注意を受ける。向かう安藤忠雄設計の建物は文字通り「地中」にあり、館内は静寂と緊張に包まれている。そこにはなんのサインもなく、観客はどこからともなくあらわれる誘導係りに導かれて「永久設置」されているという各作品のある空間に導かれてゆく。モネの睡蓮の部屋では靴を脱ぐ指示を受け、その絵画に体応して作られたという足触りのいい凝ったタイルの上を歩く。ウォルター・デ・マリアの部屋ではうやうやしく階段をのぼると、中央に奉られた球体は御神体のようであり、また周りの壁に置かれたレリーフはイコンさながらである。

ジェームズ・タレルの作品は唯一この美術館の内と外とを結び、その場所における時間と空間を体感できるものである。はじめの説明にあったように、「美術館も作品の一部」なのではなく、むしろ「作品が美術館の一部」であるといっていいほどに、建物にすべてが支配されているように思われる。美術館を所有するひとと建築家にとってはこれ以上その欲望を体現するのは不可能と思われるくらいに究極の理想形に近いのかもしれないが、そこでは観客という存在は疎外されている、といったら言い過ぎであろうか。神の住む場所である金比羅宮はすべてのものを取り込むような開かれた場所であった。一方、地中美術館は、作品を神話化する閉じられた空間として絶対的な存在感を有していた。いずれにせよ、美術館だけではなく、あらゆるところに美術作品を設置する試みがすすんだ今日、美術作品とそれを取り巻く空間の在り方はより多様化し、我々にさまざまな課題を突きつけてくる。





著者プロフィール: 中村 麗(なかむら うらら)


 

Page Top