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昨年の11月、「平成の大遷座祭斎行記念-奥書院特別公開-金比羅宮のすべて」という催しに合わせて、初めて香川県琴平にある金比羅宮を訪ねたが、その旅にはもうひとつ別の目的もあった。それは直島に新しくできた地中美術館に足をのばすことであった。物理的に一泊二日でまわるのに都合がいい、ということでだけで選んだこのふたつの場所を結びつけた体験は、神を祀る空間と美術品の墓場とも揶揄される空間の在り方について期せずして対比する好機となった。 そういった美術作品の展示館とともに、田舎の観光地にあるような「宝物館」には忠犬ハチ公の写真や人面魚のはく製などキッチュなものがところ狭しと詰め込まれているのには思わず笑ってしまう。件の「奥書院」にしても、若沖が金箔に描いた無数の種類の草花の鮮やかさや華やかさは時を経ても目を見張るばかりではあるが、ゾロゾロと列をなしていると作品を鑑賞しているのではなく、お上りさんさながらにわくわくしながら「見物」している自らに気がつくことになる。そこは美術館が持つような観るひとを観る対象から隔離しているような空間ではなく、そこにはどんなひとでも受け入れるような大らかで大衆的、土着的空気が漂っている。神社仏閣は神を奉る近寄り難い神聖な場所であるように思われるが、コンピラさんという愛称に象徴されているように、聖俗いろいろとり混ぜて、詰め込んだ場所である。そういった奇妙な共存は、至るところで見い出される。それは鈴木了二が手がけた、神殿建築の要素も引用しながら、鉄板とガラスを組み合わせたシャープな形態を有する現代建築が、祈祷所として違和なく佇んでいることにも示されている。
ジェームズ・タレルの作品は唯一この美術館の内と外とを結び、その場所における時間と空間を体感できるものである。はじめの説明にあったように、「美術館も作品の一部」なのではなく、むしろ「作品が美術館の一部」であるといっていいほどに、建物にすべてが支配されているように思われる。美術館を所有するひとと建築家にとってはこれ以上その欲望を体現するのは不可能と思われるくらいに究極の理想形に近いのかもしれないが、そこでは観客という存在は疎外されている、といったら言い過ぎであろうか。神の住む場所である金比羅宮はすべてのものを取り込むような開かれた場所であった。一方、地中美術館は、作品を神話化する閉じられた空間として絶対的な存在感を有していた。いずれにせよ、美術館だけではなく、あらゆるところに美術作品を設置する試みがすすんだ今日、美術作品とそれを取り巻く空間の在り方はより多様化し、我々にさまざまな課題を突きつけてくる。
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